牽牛星のよろず日記

自分の興味あることを思うがまま記述したいと思います。

マフラーを巻きし男の決闘(シン・仮面ライダー評論)

1971年4月~1973年2月までテレビ朝日で放送されていた仮面ライダー。現在に至るまで多くのファンを生み出し、そのフォロワーにより様々な仮面ライダーが作られてきた。

 

仮面ライダー生誕50周年企画として、何度目かのリブートが計画。監督に選ばれたのは、脱構築映像作家である庵野秀明であった。

 

弊ブログでも何度も触れている通り、庵野秀明は過去アーカイブからの引用とオマージュによって現代的な解釈を与えるデコンストラクションスペシャリストであり、本企画における最適者であることは異論のない事実だ。

 

シン・テトラロジーの最終作となる今作。庵野はいったいどんな脱構築作品を世に放ったのか、キャッチコピーは

 

『変わるモノ。変わらないモノ。そして、変えたくないモノ。』

 

庵野は何を変え、何を変えなかったのか。そこに注目し論を展開する。

 

 

第1章 筋

 

本作は緑川ルリ子役浜辺美波の発言通り4部構成となっており、4部それぞれに台本が用意されていたそうだ。なので4部に分け補足も適宜挟む。補足は()を付けている。

 

1-1 VSクモオーグ

本郷猛(以下で本郷と呼称)はサイクロン号と呼ばれるバイクに緑川ルリ子(以下ではルリ子と呼称)を乗せていた。その後ろから人外融合型オーグメントであるクモオーグとその部下が迫り、ルリ子は捕縛。裏切り者は許さないが生け取りにせよとの命令を受けているのでお仕置きだけにするとクモオーグがルリ子に手を下そうとした刹那にバッタオーグに変身した本郷はクモオーグの部下を次々に撲殺しルリ子を抱えて山中のセーフハウスに逃げ込むことに成功。

 

本郷の力に驚いたクモオーグ、しかしクモオーグ以上に本郷自身が自身の腕力と身体能力の増強と暴力性に驚き、自身の肉体が人外の様相を呈していること、そして血で染まった自身の手を見て、大量殺戮を働いた自身に恐怖していた。その時セーフハウス内で緑川弘博士がルリ子の紹介と共に、本郷の肉体に昆虫合成型オーグメンテーションプロジェクトとして改造実験を行ったことを告白し、自身の組織を親子で裏切り、組織壊滅作戦への協力を依頼。ルリ子は本郷の首に赤いマフラーを巻く

 

『君は組織の開発した昆虫合成型オーグメンテーションプロジェクトの最高傑作だ。体内とエナジーコンバータに残存しているプラーナを強制排除すれば人の姿に戻るプラーナは君の生命力そのものを直接支えていく。君を超人に変えたのも圧縮されたプラーナの力だ。君の身体に施されたプラーナの吸収増幅システムがその源。防護服の胸部コンバーターラング、そしてベルトとマスクに連動している。』

 

緑川博士の説明を聞き理解する本郷(原作でもTV版でも本郷は頭脳明晰で運動神経抜群の出来杉君と大谷翔平を足して2で割らないみたいな造形。しかし大抵は訳の分からないキャラを登場させて質問を重ねることで観客と同じ視線を確保するのだが、そこは庵野流、ハイスピードで独自体系の説明がノンストップで繰り広げられる。)であった。

 

(早い話が、遺伝子工学実験によって人間に多種生命体の能力を付加したキメラみたいな能力を与えるのがオーグメント実験で、その実験で鍵を握るのがプラーナという物質、それは魂のようなもの、その力を増幅させることで肉体の強靭化を達成すると同時に、その強大な力をマスクやベルトスーツといった人工物でコントロールしようという感じ。ここは強大な能力を持つ怪物を機械でコントロールし兵器化するエヴァと酷似。)

 

プラーナの力を用いて人類に害を成そうとしていることから緑川博士は裏切りを決意し、本郷をバッタ人間にすることで目には目を、オーグにはオーグをということで一緒に戦ってほしいと言われる刹那にクモオーグの急襲を受け、目の前で緑川博士を殺害、ルリ子も連れ去られてしまう。本郷は博士の説明の中でプラーナの放出を実演しており能力を一時的に失っていた。そして本郷ごとセーフハウスは爆破される。

 

博士の最後の言葉『ルリ子を頼む』を受け、本郷はサイクロン号に乗り加速すると風を胸部のコンバータラングが受けて風力をプラーナに変換。そして本郷はバッタオーグに変身。そしてクモオーグと格闘し、その中で自身をバッタオーグではなく、仮面ライダーだと自称する。そしてライダーキックによってクモオーグを殺害。しかし殺害すると泡の塊のようになって跡形もなく消え去ってしまった。肉体を残すと組織の情報が知られるためこういう死に方をするらしいとルリ子は語る。

 

父を守れなかったことを詫びる本郷。しかしルリ子は悲しむ表情は見せず淡々と現実を受け入れる。そして2人の”タンデム”は続いていく。(TV版ではクモオーグ戦ではルリ子が本郷こそ父を殺害した本人だと誤解する場面と、それを解消していく過程があるのだが、それをやってるとダラダラするので、いっそルリ子が悲しまない設定を組み込むあたりさすが庵野と手を叩いたものだ。そして何故悲しまないのかも合理性の取れた設定を準備していることを後に我々は知る。)

 

1-2 VSコウモリオーグ

クモオーグ戦の後に、ルリ子は密かに準備していたセーフハウスへ本郷を案内し、私は用意周到なのと言いながら部屋に入ると、そこには政府の男と情報機関の男がいた。そしてそこで緑川博士とルリ子がいた組織の事実が明かされる。

 

Sustainable Happiness Organization

with Computational Knowledge Embedded Remodeling

持続可能な幸福を目的とする愛の秘密結社

 

の頭文字をとり、SHOCKER(以下ショッカーと呼称)と呼ばれるその組織は政府の摘発対象となっていた。その活動に本郷とルリ子に参加して欲しいと持ち掛ける。そのオファーを受け、反ショッカー同盟が結成され、戦いは再び幕を開ける。

 

ショッカーは創設者によって人工知能に人類の幸福を達成するための計画の立案を演算させた結果、最大多数の最大幸福ではなく、最も深い絶望を抱えた人間を救済する行動モデルを実行することに価値があると判断。その目的の達成のために作られたのがショッカー。

 

次なる敵はコウモリオーグ。戦いを逡巡する本郷に任せておけないと単身コウモリオーグの研究室を襲う。しかしコウモリオーグはヴィルースと呼ばれる独自開発された成分を用いてルリ子を服従させる。(TV版ではビールスと表現されていたのでウイルスの独特な言い換えというオマージュか?)

 

戦う決意を固めて乗り込んで来る本郷。その前に大勢の人々がコウモリオーグの拠点で立っていた。そしてコウモリオーグが合図をするとその人々は次々に死んでいった。ルリ子を殺されたくなければ服従せよと命令するコウモリオーグ。しかし本郷には全く効果がなく、またルリ子も服従したふりをしていただけだった。

 

コウモリオーグは敗北を悟り逃走。バッタオーグの跳躍可能高度を超えた高度を維持するもサイクロン号の噴射角度を調整し空中飛行を可能にした本郷の前には無力と化しあえなくライダーキックで踏み潰され絶命し消失する。

 

血で染まった右足を眺めながらも戦いは続く。

 

ライダーにばかり任せておけないと、治安機関も躍動する。サソリオーグを発見し猛毒性化学兵器に苦しみながらも本郷たちの力を借りずに制圧。ルリ子は化学兵器には流石の仮面ライダーも苦労するだろうから助かったと安堵していたが、とある副産物がその後の彼らに悲しい結末をもたらすことになる。

 

1-3 VSハチオーグ

次なる敵ハチオーグは効率的な奴隷制度による統制された世界システムの再構築と実現を目指すべくテストモデルとして選んだ街を支配していた。ルリ子と本郷は本拠地に向かう道中でルリ子から本郷に『サーバーを見つけて欲しい、あなたの方が感覚が鋭いから』と依頼、アジトに乗り込むと、ハチオーグは自身の理想を叶えるためにも帰ってきて欲しいとルリ子をルリルリと呼び穏便に勧誘する。

 

操られた人々を巻き込むことはしたくないために戦略的撤退を選択する本郷とルリ子。ヒロミと名前でハチオーグを呼ぶほどの関係性であったことから投降を呼び掛けるべく作戦を練りながら野宿をする本郷とルリ子。そこでルリ子は自身は人間ではなく人工子宮によって生み出された生体電産機と告白する(綾波レイ的な立ち位置で何ともエヴァ庵野らしいデザイン)。

 

打ち込まれたデータをインストールしながら本郷にプラーナと研究について話し始めるルリ子。緑川博士の開発したプラーナシステムは大気中に圧縮された他生命のプラーナを自らの生体エネルギーに変換する装置であり捕食なしに生命維持が可能。しかし全人類がプラーナシステムを装備すると結果としてプラーナの奪い合いになることから緑川博士は組織を抜けることにしたと説明した(そんなことは考案段階で気づいてないとおかしいので、ここら辺に脚本の怪しさは漂っている)。

 

本郷は作戦を提案し、ルリ子は了承。再びハチオーグのアジトへ向かう。ハチオーグは部下のプラーナを奪うことで人間から変身。ルリ子が対峙した刹那に、本郷によるサーバ破壊が成功。これで服従していた無垢の民は解放。心置きなく戦うことができるようになった。日本刀を用いて本郷と戦うハチオーグだったがあえなく敗北。投降を呼びかけられる中で、協力者の1人は銃弾をハチオーグに見舞う。

 

銃弾など効くはずがない、そんな余裕を見せるハチオーグとは裏腹に被弾した左肩からは流血。ルリ子は気づく。『サソリオーグの毒を利用した銃弾?』ハチオーグは人間の放った銃弾の前に絶命するのであった。

 

順調にオーグを壊滅させていく一同。しかしルリ子にはある確信があった。ショッカーの暫定的リーダーにして自身の兄である緑川イチローがチョウオーグとしての完全体に進化したと。治安当局がチョウオーグを急襲するも、後に応援が入った頃にはチョウオーグは姿を消し、残されていたのは笑みを浮かべた外傷のない無数の遺体であった。

 

イチローはプラーナを奪い殺害に至っていた。いわば魂の殺人であり、そのことをハビタット空間に送ると表現する。イチローの狙いは全人類の魂の殺人計画であるハビタットシステムの完成にあった。そのためにはルリ子のデータを読み込む必要がある。だからこそ生け取りにこだわっていたのだ(ただこれは家族への執着という部分が大きかったと思われるが)。

 

こうしてラスボスであるイチローとの戦いが幕を開ける。

 

1-4 VSチョウオーグ

 

イチローのアジトにやってきた本郷とルリ子。イチローの凄まじいプラーナの前にルリ子は意識を失ってしまう。さらにイチローはルリ子を置いていけば手を出さないと本郷に約束するも、当然ながら本郷は拒否。最終決戦が始まるかと思いきや新たな刺客を放ち、任せると言い残して消え去った。第2バットオーグである一文字隼人である。

 

風がなくとも変身出来る一文字に苦戦する本郷。その間に意識を取り戻したルリ子は十文字の脳洗脳を解くプログラムを構成し始める。一文字によって右足を骨折させられ戦闘不能になり終わりかと思ったその時(この右足負傷というのもTV版での1号役の藤岡弘が右足を骨折して2号を登場させることになったことへのオマージュ)、ルリ子が完成させたプログラムを十文字にインストールし脳洗脳の解除に成功。

 

『あなたもライダーになって彼を助けて』そう言いながら赤いマフラーを巻く。ここに仮面ライダー2号が誕生した。

 

しかし、死角から出現したカマキリ・カメレオンオーグ、通称KKオーグによってルリ子は腹部に刃物を突き刺さされその場に倒れ込む。寝返ったルリ子を処断しようとしたKKオーグは新たな裏切り者である一文字に殺されるという皮肉な結末を迎えるも、ルリ子はマフラーが似合っていて良かった。と言い残しライダーマスクに残された遺言の存在を告げて絶命(TV版でもルリ子は突然留学とかでいなくなってしまうので、突如いなくなるという表現をしたかったのかも)。

 

遺言を聞いて感涙する本郷。ルリ子のために人類を救うことを固く誓う。

 

一文字はジャーナリストという立場上権力側の人間との共同タッグに難色を示すもルリ子を死に追いやる一因になったことへの自責の念と、そのことを自身の無力さゆえと捉えてイチローに立ち向かおうとする本郷の姿を見て加勢を決意する。

 

イチローのアジトへ向かう本郷。その前に大量発生型変異バッタオーグメント11体が襲いかかる(実はこれは原作の石ノ森章太郎漫画版の展開であり、13人のライダーという話で、本郷を除く12人の偽仮面ライダーが襲ってくる。そのうちの1人が一文字であり、最終的に本郷は死亡、しかし激戦の中で一文字の脳洗脳は解け、その罪滅ぼしとして本郷の意思を残したライダーマスクを被り仮面ライダー2号として生きるという流れ)。

 

絶体絶命の中、一文字の加勢により撃退に成功、イチロー戦へと向かう。イチローは完全体への変異しており、ベルトを巻いて青いマフラーを巻き付け自身を仮面ライダー0号と自称。サーバーを隙を見て破壊し弱体化させたはずの0号の前に全く歯がたたないダブルライダー。しかし一文字が何とかイチローの仮面を破壊することに成功、そして本郷は自身のマスクをイチローに被せルリ子のプラーナを通じて魂と会話する。

 

母親を無差別殺人で殺されたイチローと父親を無慈悲に殺された本郷、他者を信じることを苦手とする両名が相交え、そしてイチローは消滅を選択、自身をハビタット世界に送ることを決める。また本郷もプラーナを使い果たしていた。『ルリ子が信じた人間を信じることにする』と言い残したイチロー、『あとは頼んだ』と言い残した本郷。両者は悲しみの記憶を受け入れ、絶命し消失するのであった。

 

『なんだよまた1人かよ、』そう一文字は呟く。イチローと本郷の相討ちに終わった決戦の後、組織の男と情報機関の男から本郷のプラーナを入れたライダーマスクを渡され、意志を継いでくれないかと依頼される。名前を名乗れないような人間とは手を組めないなと軽口を飛ばす一文字。

 

そんな一文字に、立花、滝とそれぞれ名乗る(これはTV版で本郷をサポートしていた、おやっさんこと立花藤兵衛とFBI捜査官の滝和也からの引用、ただ立花瀧という君の名は。の主人公の名前を出すことで、自身の後継者として新海誠を指名したということも含めているのかもしれない、考えすぎか)。そしてコブラオーグの対処を依頼。一文字は受け入れ、本郷のプラーナが入ったライダーマスクを被りサイクロン号にまたがる。

 

『風を感じたい、サイクロンを加速してくれ』という本郷の声が聞こえる一文字。

 

サイクロンを加速させて一文字は呟く。

 

『俺たちはもう1人じゃない、ずっと2人だ。』

 

背中にはBATTA-AG 02+01 

 

一心同体ダブルライダーをのせたサイクロン号が加速し続け、物語は幕を閉じる。

 

第2章 イシュー

2-1 良かった部分

 

本作は52年前の『仮面ライダー』を構成していた東映生田スタジオの作り出したテレビシリーズや劇場映画、石ノ森章太郎先生のテレビシリーズを補完すべく描かれた漫画等を分析・検証・変換・再構成することで新たな劇場映画として形にすることを目指しています。

 

これは監督・脚本を務めた庵野秀明の言葉である。

 

端的に言うと本作はこの言葉に集約されており、仮面ライダーの良かった部分はそのままにしながらも改善点を修正し、初代仮面ライダー2年分を120分に集約することを目指している作品である。

 

具体的に注力している点としては

 

①初代仮面ライダーの問題点の解消

②2時間映画への圧縮における課題の解消

 

①に関しては、ルリ子の突然のフェードアウトであったり、ラスボスとなる首領があっけなく倒されてしまった事といった部分への修正が挙げられる。

 

そもそも首領がショボい理由としては、ショッカー内部の人間関係の掘り下げが不十分なことに起因するのでネルフ、ゼーレ、巨災対、禍特隊、といった組織の中で繰り広げられる大人の政争を描いてきた庵野はやはりというかショッカーも同様のデザインに仕上げてきた。これによってTV版よりもラスボス戦は盛り上がりを作ることは出来た。

 

②に関しては、上述したルリ子のフェードアウトと同様、前作のシン・ウルトラマンの評論の時にも述べたが

lilin18thangel.hatenablog.com

 

そもそも何十話もあるシリーズものを2時間に圧縮しようとするとどうしても展開が急になったり、その何十話の積み上げによって成り立つ展開が無理筋になってしまう。なので自分もTV版における緑川博士の死亡を本郷が殺したと誤解したルリ子、その誤解を解くための奔走といった流れを落とし込む難しさを危惧していたが、完全に今回は短縮することに成功している。

 

そもそも緑川博士に対して愛情自体をさほど持っていないし誤解も生じないという設定にすることで大幅にテンポを上げ、クモオーグ、コウモリオーグの2戦を通じて仮面ライダーの設定の整理。理論武装の導入。ライダーとして出来ること/出来ないことの提示も出来ており、2幕までは完璧と言えよう。

 

そして本郷死亡に関しても自分はやるのでは、と踏んでいた。

 

            限界庵野ヲタクの素晴らしい予言

 

原作準拠をするのなら2号への継承は役者の怪我ということではなく、むしろ偽仮面ライダー集団に襲われ絶命し、本郷の意識を宿したマスクを一文字が継承することで仮面ライダー2号を生み出すのでは、と予想もしていた。

 

しかし、画的にはダブルライダーは見せたい。なので偽ライダー集団との戦いで死ぬのではなく、順番を調整することで原作における自己献身する本郷、TV版におけるダブルライダーによるショッカー破壊という両取りを狙い成功したと言える。

 

まとめると

 

ショッカーの力学体系の整理と首領の作り込み

TV版のダブルライダーの活躍

ルリ子の誤解解消物語をスキップしテンポアップ

漫画版の本郷の死亡と一文字への継承

 

これらを軸にした物語にすることで2時間で改造人間にされ人間に戻れない絶望と人間を救うために自身と同じ境遇の改造人間を殺す同族殺しの宿命を背負った悲しき男の献身の物語という最も重要な部分は表現されていたと結論づけられる。

 

2-2 課題

 

長所は短所と言うが本作はその通りで、マニアにしか伝わらない部分があまりにも多すぎて、明確なカタルシスポイントが少ないと言える。というのも確かに全体として見れば上手くいっているのであるが、ハッキリ言うと3幕以降はかなり無駄なポイントが多かったように思える。

 

端的に言うと3幕ハチオーグ戦は不要というのが自分の意見だ。

 

そもそも怪人は今回のような2時間圧縮ものであるなら、出すことに意味があるべきである。クモオーグ戦では戦いのスキルを学び、コウモリオーグ戦ではサイクロン号を利用したスキルが描かれる。ではハチオーグはどうか。サソリオーグの毒の件も含めてここは要らなかったし、第3幕ではバッタオーグの群れと戦うので良かったのではないだろうか。

 

そしてバッタオーグの群れの一文字によってルリ子が死ぬ展開にして、脳洗脳が解けた後に、その懺悔としてイチロー戦で苦戦する本郷の元に現れて加勢。そして本郷は前作のウルトラマン同様に、自分の命を捨てる覚悟でイチローに攻撃を仕掛け同士討ちという形の方が自然に見える。

 

というのも今作、ルリ子誤解パートをスキップした割には無駄な怪人や無駄なシーンがあまりにも多すぎるのだ。

 

そしてTV版のリスペクトをするあまり当時の殺陣レベルであったり倒し方がTV版まんまで、また当時の質感に近づけた結果、現代の映像レベルとしては作り物感が強くなり、そこに加えて複数台のカメラによる強烈なカット割によって、アクションがどうしてもしょぼく見えてしまうのは事実

 

そして、CGの粗悪さであるが、これも自分はやってくると確信はしていた。というのもシンエヴァにおいて庵野自身があえて作り物らしい演出をすることで、これはあくまでも虚構にすぎないと表現し、虚構と現実に明確な線引きを与えるために、わざと意図的に作り物のような粗悪さを出すのは庵野のシンシリーズではお馴染みだからである。

 

血も涙もないことを言うと仮面ライダーはストーリー云々よりもとにかく何か分からんけどアクションが凄いというモメンタムで解決してきてる部分があるので、画像の質が低くなり無数のカット割で構図が分かりづらくなり何が起こっているのかが分かりづらくなり、その結果、それを言葉で説明してしまっているので、映画的でないのだ。

 

今回のシン・仮面ライダーにおいては庵野の思い入れとルーティンワーク嫌いゆえの偶発性の産物としての画像にこだわるあまり、結果としてであるが

 

映像として景色以外に見るべきものが極端に少ない作品になってしまっている。

 

こだわりを詰め込んだ結果、純粋映像作品としての出来が残念なものになってしまったのはおそらくだが映画評論家からは酷評されるに違いない。

 

ただ、これらがそもそもの予算の問題でやりたいことが出来ないので、ならいっそ粗悪な虚構性を露呈させる方面に振り切ってしまった結果、言葉で説明を加え続ける必要が出てしまったのかもしれない。

 

2-3 シンシリーズ総論

 

良かった部分と悪かった部分をそれぞれ見てきたが、庵野秀明仮面ライダーを心底好きなのは本当に伝わった。しかし低予算と独特の撮影手法とこだわりが裏目に出ている部分が少なくなく、多くの賛否両論を生む出来になってしまった。贅沢な二次創作の域を出ていないという痛烈な批判も与えられよう。

 

前作の庵野秀明インタビューでもあったように、おそらく実写作品としては今回が年齢的にも体力的にも最後になるのではないかと考えられるわけで、残酷な結論であるが敢えて語るが

 

結局、シン・ゴジラが凄すぎたんだなと。

 

そしてゴジラエヴァウルトラマン仮面ライダーという4コンテンツで一番庵野秀明熱量がなかったのがゴジラ、というのも示唆的で、思い入れがあるものはさほど面白くならず空回り感が否めないのだ。

 

そしてシン・ゴジラには3.11というユニバーサルがあったことも否めない。こういうユニバーサルがないと庵野作品は全て注釈を付けないと楽しめないヲタクの2次創作になってしまうという抜本的な問題が浮かび上がってしまったと言える。

 

今回も、マスク、感染症といった部分においては時事ネタを放り込むことは出来たように思える。サスティナブルにもそこまで触れられておらず、どうしてもユニバーサルがなかったように思える。

 

90年代の混沌模様を落とし込んだエヴァ

3.11を落とし込んだゴジラ

 

こうしたユニバーサルな出来事と、それを落とし込むことが出来るかどうか。この部分にシン・シリーズが成功するか否かのポイントがあるのだろう。

 

次回作があるなら、提案ではあるがパンデミックをテーマにした作品の方が良いのではないだろうか。具体的な名前を挙げるなら貞子である。

 

何を言い出したか、と言われそうだが実は貞子とは遠隔感染するリングウイルスという疾病を広げてしまうというもので実に現代的テーマと合致するのだ。しかも庵野はホラーにはそこまで興味もなさそうなので一定の距離感も取れて、シン・ゴジラ超えの可能性もありそうなのだが。

 

シン・リング

 

いつか見れると良いのだが笑。

 

最後に

 

自分は脱構築マニアである。庵野、ペップ、秋元をずっと追いかけてきたし彼らのプロダクトをずっと研究してきた。彼らの代表的なプロダクトとしてはシン・ゴジラ、ペップバルサ欅坂46が列挙される。

 

そしてそれらには奇跡的な出会いがあった。

 

ペップがメッシに出会ったからペップバルサが生まれた

秋元康平手友梨奈に出会ったから欅坂46が生まれた

庵野が3.11を経験したからシン・ゴジラが生まれた

 

このように僕の追いかける脱構築系作家は皆、奇跡的なユニバーサルと出会った時に素晴らしいプロダクトを生み出す

 

そしてそれは絶望的な事実も浮き彫りにする。

 

奇跡は2度も起こらない。

 

このクラスの出会いが起こらない以上、いくら彼らを追いかけてもである。

 

ペップはペップバルサ劣化版のチームしか生み出せず

秋元康欅坂46劣化版のアイドルグループしか生み出せず

庵野秀明シン・ゴジラの劣化版の実写映画しか生み出せな

 

そんな未来しか訪れないのだろう。

 

辛いという字は幸という字と一本線があるかないかの違いでしかない。

 

ユニバーサルと出会えるか否か、それはそんな紙一重の事象でしかないのかも知れないが、どうしても自分は最高傑作が更新されると信じて見てしまうのだ。

 

だからこそ、ペップも秋元も庵野も、いつか最大値を更新するプロダクトを作り世に放つと自分は期待し応援したいと思う。

 

紙一重の奇跡を信じてしまう。

 

なぜなら。。。

 

牽牛星脱構築マニアである。


牽牛星を改造した脱構築作品は紙一重の奇跡である。


奇跡をもう一度観測するため、

 

牽牛星は悲壮な諦念と戦うのだ。