牽牛星のよろず日記

自分の興味あることを思うがまま記述したいと思います。

青眼労働党大会で話す予定だった事。

以下の文章は、サッカー日本代表についてスペースでブルーアイズさんと話そうと思っていた内容をまとめたものです。

 

今、巷では、森保批判論が渦巻いています。そこで普段は海外サッカーしか見ない”部外者”の自分ですが思うとことや雑感を付そうと思います。

 

 

 

 

第1章 後出し皆無ジャパン

 

 

1-1 ブラジル戦に見る後出し力の欠如

 

よく聞かれるのが森保監督には戦術がないという批判です。

 

わかりやすい例えを挿入します。

 

サッカーは”後出しジャンケン”の様相を呈しています。

 

相手がグーを出してきたら、こちらはパーに手を変更

 

すると相手もそれに呼応するようにチョキに変更

 

そうすると自分はグーに変更

 

このように相手の出方に合わせて手を変えていく、それがサッカーです。この何の手を出すのか、というのが戦術の選択になります。

 

森保ジャパンを見ていると後出しジャンケンが苦手に見えます。

 

最も視聴者の多かった注目試合ブラジル戦を例に取りましょう。

 

(1)自軍組立時

 

相手は442で2トップがDFラインへのプレスを実施します。日本代表は433で迎え撃つわけですから、ビルドアップ時には2枚のCBで組み立てます。GKが関与出来る低い位置なら数的優位をもてますが、高い位置では2VS2の同数。

 

これが自分達がグー、相手がパーを出しているような状況です。

 

この時、グーを変更しチョキに変えないといけない。

 

SBを絞らせる、もしくはボランチを落として仮想3バックを形成し数的優位を確保するのが最適応手、チョキになります。

 

しかし森保監督は何も動かない。

 

(2)敵軍組立時

 

ブラジルの戦術は偽FWネイマールを組み込んだ442。ネイマールは中盤深くまで降りる自由な動きが許され、CBがついてくれば、裏はマドリーの翼であるヴィニシウスが狙い、放置すれば中盤で数的優位が生まれる。

 

この偽FWに対しては、明確にネイマールを誰がマークするのか決めることが求められます。メッシの降りる動きにラモスが突撃して潰したり、ラモスクラスの選手がいないチームは3バックにして突撃CBによるリスクを軽減することが列挙されます。

 

板倉にネイマールにどこまでも付いていけと命令するか、(1)で述べたビルド問題も含めると3バックに変更してネイマークを実施するか。

 

しかし森保監督は動かない。

 

この動きを見たブラジルはネイマールフレッジという攻守の遊撃手を解放し、縦横無尽にボールを回し試合の主導権を完全に掌握してしまいました。

 

サイドに人を回し、日本がサイドに人を回せば、回した中央へとパスが送られる。中央を固めたらサイドでの数的優位からボールを前進させられる。

 

日本代表はネイマールフレッジという自由な動きを可能にするUT(ユーティリティ)の存在によって13VS11という数的不利を仮想的に背負うことになりました。

 

上記(1)(2)が生んだ必然の現象は、相手ボールを取れずにズルズルと交代し続ける。低い位置ならGKがビルドに関与出来るため、一時的にビルドが改善されたかに見えるが、低い位置から運ぶということはゴールまでの距離も遠くブラジルの撤退も間に合ってしまう。

 

この結果、ブラジルがボコボコに打ち込む、必死に守る日本代表という画像がTV画面に映し出されることになりました。

 

カウンターを打とうにも個人能力の高いブラジル相手では後ろ、特にサイドでは1VS1を挑めないため援護を必要とするためWGはプレスバックを要求されてしまう。これではカウンターのキレもなく、相手に回収され殴られ続ける、ずっとブラジルのターン。

 

1-2 サッカーの特性

 

①ジャンケンの揺らぎ

 

前述したブラジル戦での森保不動ジャパン。しかしスコアは0-1の敗北

 

これを惜敗と報じるマスコミもいました。確かにスコアを見れば最小失点に抑えての敗北ですから惜敗と言えなくもない。しかし実態を見ると相手UTポジショナルに対応出来ず無限支配を許し相手に押し込められたパークザバスによる失点率の減少、加えてブラジルの最終生産性の低さの結果であり、個人的には大敗に近しい結果と捉える。

 

ここまで語ってきた後出しジャンケンだが、ジャンケン通りにならないことが往々にしてあるのもまた事実である。チョキがグーに勝つのだ。それがアジア予選を日本が勝ち抜けている理由でもある。

 

日本代表に対して、最適応手を考え講じてくるチームがアジアにも増えてきている。しかし日本代表の人的資本力はアジア屈指であり、例えばWGの伊東にボールを預ければ独力で相手SBをちぎりチャンスを作ってくれる。

 

人的資本の優位性は後出しジャンケンの優劣を崩す力があります。

 

だからこそ日本代表は後出しジャンケン力の低い森保監督のチームでもアジア予選を勝ち抜くことが出来ています。

 

逆に言えば、相手が優れたチームであれば後出しジャンケンは無効化されるため、負けても仕方がない、という風潮が出来上がってしまう。

 

②最終生産評価競技

 

サッカーとはネットを揺らし合う競技だ。この最終生産行為の結果以外は一切の評価を受けない。どれだけ良いパス回しをしようとポゼッションを保とうとサッカーという競技にゴール以外の評価基準は存在しない。

 

この事は戦術的な選択の結果がスコアに反映されづらい状況を生み出す。まさにブラジル戦はその最たるものである。ブラジルには絶対的な最終生産者がいない。チャンスメーカーは数多いるものの得点能力に優れたエースは出現してこない。

 

だからこそ、必死に日本代表を殴り続けてもPKの1点しか奪えず終わってしまう。日本代表のラフプレーを審判が取らなかったことに不平を漏らしていたブラジル代表監督の言葉は、ドン引きした自軍の最終生産能力の低さへの批判を交わす目的でしょう。

 

そしてW杯で戦う強豪国であるスペイン代表とドイツ代表も、このセレソン同様にストライカーを欠いており、日本代表が実質完敗の”惜敗”でカタールから帰国する可能性もある。

 

1-3 考えるな走るな

 

オシムの言葉

 

日本代表らしさ、と言われると技術を活かし勤勉なサッカー、そして何よりも考えながら走るサッカーというオシムジャパンで提唱された言葉が思い起こされます。

 

しかし、それは間違いです。

 

理想のサッカーとは考えないし走らないサッカーである。

 

事前に発生する現象を想定し、そのそれぞれの状況における最適挙動を設定、これは試合中に考えなければならない事を減らすのが目的である。

 

戦術とは選手から思考を奪うためのものであり、アドリブで対応しなければならない部分をミニマムにすることで想定外を潰す、そうすることで後出しジャンケンをオート化し、思考停止で状況に集団が対応する。

 

そして走らないと言うのは、全体で同じビジョンを持ち動けば想定外のランニングを減らせ、ポジショニングによって中長距離のランニングを減退させ、さらに全員が最適挙動を身につけているため最小の運動量で事立ってしまう。

 

クライフが走るな、と言うのはまさにこれである。

 

バルサのサッカーとは思考停止のサッカーである。選手は考えていない。状況ごとの最適挙動を全員が脊髄反射レベルで理解しているからこそ迷いなく実行に移せる。

 

クライフの理想としたバルササッカーは、カンテラから一貫した最適挙動教育によるチーム全員の圧倒的な共有力により想定外を徹底して壊すことで、誰も考えず最適挙動を選択し続ける集団の構築にあったはずで、それを具現化したのが、バルデス、ピケ、プジョルブスケツ、チャビ、イニエスタ、ペドロ、メッシの共有力を活かした支配集団ペップバルサだ。

 

②観客監督の少なさ

 

メッシはカンプノウには監督がたくさんいるんだ、と言っていました。

 

ここ日本においては、まさに野球が該当するように思えます。高校野球プロ野球の人気は凄まじく、観客の野球IQは高く見えます。例えばノーアウト一塁で攻撃時、バントをした方が良いのでは、いやいや相手投手の制球が苦しいので、ここはあえてヒッティング、といった提案が容易に発生します。

 

これは文化的に野球の最適挙動における理解力が日本人は高い事を意味しています。日本国民のほとんどが”監督”のように采配を提案できるのです。

 

しかしサッカーはどうでしょうか?

 

森保ジャパンのビルドアップに対して、相手が2枚でプレスかけてんだから3枚作ってビルドした方が良いのでは、と言う提案がされる度合いは野球に比べてどうでしょうか?

 

自分は少ないと感じます。それは野球が野村克也氏を中心とした頭脳労働という解釈のもと古い歴史によって作り上げられてきた最適挙動の考察という下地の違いが大きいと思われます。

 

日本野球チームが寄せ集めでも一定の高出力のパフォーマンスを出せるのは最適挙動に対する理解が高く、観客の理解力もあるため要求も高くなり、更に向上する。

 

東京五輪日本代表野球チーム侍ジャパンは稲葉監督の采配に具体的にデータや意見を交えながら様々な声が飛び交っていた。しかしサッカーとなると

 

森保は戦術がない

 

森保は無能

 

である。

 

戦術はあるのだ。手は打っている。問題はそこに相手が対応してきた場合に何もせずに選手の自主性に任せるという妄言を繰り返していることで。これは文化的土壌の構築が必要なのでマスコミも含め時間を要するのかもしれません。早い話が現場もお茶の間にも基礎教養が欠落しているのだ。

 

1-4 日本という社会

 

①日本のコロナ禍

 

よく日本人の強みは勤勉なところだと言われる。真面目に黙々と仕事に向かい、震災時の配給においても列に並んで暴動を起こさない集団の調和を大切にする協調性は世界中から賞賛されています。

 

しかし日本はそんな良い国でもないことを日本人の我々は知っているでしょう。

 

日本は現在、第7波のコロナ禍に見舞われている。欧米に目を向けるとマスクを外し日常を取り戻しつつある中で、日本では毎日のように医療崩壊が叫ばれ、マスク着用も事実上の義務と化す時間が3年を迎えようとしています。

 

なぜ日本はコロナ禍が終わらないのか?

 

それは日本でのコロナ感染者の数が多いからではありません。感染者の全数把握を欧米が放棄してから日本は世界最大規模の感染者数を記録しましたが、これは律儀に感染者を全数把握しているからであって、それまで日本の感染者数は欧米の数分の一。

 

人口1000人あたりの病床数は世界トップ、全体では160万床を誇り、病院の数は8300を数え世界最高なのにも関わらず、なぜ医療崩壊するのか。それは単純に医療リソースが枯渇しているからであって、日本が欧米のようにコロナ禍を終われないのはひとえに医療リソースの拡充が困難であり、とても数年規模では病床利用を求める人の数に追いつかないからです。

 

原因としては長年にわたる医者数の抑制、開業医の肥大化、医者数全体の抑制に加えてIT化も進んでいないことといった医療従事体制に横たわっている諸問題であって、これは医療従事体制の構成者、また、この状況を作り出してしまった行政側に責任はあります。

 

病床を増やせない、だからこそ国民に自粛を迫り続け、各個々人の生きがいや生業を不要不急と言って切り捨てられるばかりかイベントや大人数が関与するものに参加する人々は感染拡大の温床への加担として強く痛罵され続けてきました。

 

この跳ね返しとして現在、医療従事者への反発は相当に高まっている次第です。

 

マスク着用も日本のコロナ禍も欧米並みになるには相当な時間を要す模様で、先行きもビジョンも提示されない中での自粛強要は私権侵害として強い反発を招くのは仕方ないのでしょう。

 

②赤信号を皆でわたる

 

この状況に対して日本政府が取った手は実に日本らしいなと思うのです。

 

それは言い換えによる本質の曖昧化です。

 

日本は売春は禁じられています。軍隊を持つことも。そして国営競技以外のギャンブルを禁じています。これは日本の法によって定まっています。

 

しかし、日本には売春婦がいて、重火器を持つ軍隊がいて、そしてパチンコという非公営ギャンブルが存在しています。

 

これらは全て言い換えによって正当化されています

 

風俗嬢、自衛隊、スロットマシーン。

 

法律に違反していても現実的に存在を認めざるを得ないものを言い換えることで正当化してしまう。これは非常に危険であると同時に日本国の問題解決の常套手段でもあります。

 

そして日本政府のコロナに対する対策はWITH コロナと呼称されました。

 

早い話が放置。経済活動の抑制もしない、医療拡充もしない。その代わり補償も応援もしない言わば解決策がないので放っておくという。それをコロナと共存しているのだ、と言い換えただけなのです。

 

職業仮想恋愛をアイドルと言い換えるのも個人的には気に食わないのですが、これを話し出すと長くなるのでこの辺でやめます笑。

 

③必要なのは悲劇

 

日本はコロナ禍に加え、統一教会問題が取り沙汰されています。これは一人の男を、まさに引き金にして発生したユニバーサルな現象でした。

 

安倍晋三暗殺事件

 

奈良県で選挙応援に駆けつけた安倍晋三元首相の演説中に背後から忍び寄り複数の銃撃を見舞った山上容疑者によって元首相が殺害された事件。

 

山上の殺害動機は新興宗教2世問題でした。自身の母親が家族の病気によって藁にもすがる思いで入信し財産を宗教団体”統一教会”に貢ぎ続けたために自分自身の将来決定が阻害され家族が苦しめられ、統一教会と関係が深いとされた安倍晋三暗殺に至った。

 

これは悲劇だ。山上自身は母親のせいで将来を暗くし、安倍晋三もまた生命を奪われた。自分は殺人は肯定しない。しかし、この悲劇をトリガーとして自民党党首であり現内閣総理大臣の口から”統一教会との関係を断つ”と言わせた。自身の未来を無茶苦茶にした統一教会への恨みを抱えた山上にとっては狙い通りと言えるでしょう。

 

ここで皆さんに質問です。山上の安倍晋三暗殺なしに

 

統一教会問題をここまで大々的にマスコミが取り上げたでしょうか?

 

統一教会との関係を自民党が絶ったでしょうか?

 

悲劇が改革のトリガーになるという最たる例だと自分は考えます。民主的プロセスを踏んでも日本の多くの組織は自浄作用は働かず整備上問題があると思われた部分に手を入れるためのモメンタムは失われてしまうことが往々にしてある。

 

だからこそ、このコロナ禍においても悲劇が必要であると自分は考えます。もう既に悲劇は起きていると現場は考えているでしょうが、おそらく足りない。このままでは、あのコロナも何とか乗り越えてしまったから医療体制の抜本的改革は必要なし、とみなされる危険性があります。リソース拡充に踏み切らない政府への抵抗としての医療従事者のボイコット運動や、誰の目にも明らかな医療崩壊現象といったものがないと現状の医療リソースの見直しには至らないと自分は考えます。

 

これは日本サッカーにもいえます。戦術的な応手力の低下がアジアにおける人的資本の優位性のよって遮蔽され、W杯で負けても強敵だったから仕方ないという風潮で4年ごとに監督が変わっていく。まるで安倍晋三第2次政権前の日本の総理のように。

 

今、日本代表に必要なのは悲劇でしょう。だからこそ、今回のW杯の組み分けは非常に残念なものとなってしまいました。負けても言い訳のできてしまう強国であるスペインとドイツと同組。これでは負けたとしても強国に挑み個の能力で負けたと言い訳を許してしまう。

 

日本型組織の強みは悲劇から学び体制を整え実施する勤勉さ、弱みは自浄作用が働かない組織を変革するのに悲劇を要するということ

 

日本代表の改革のためには、そもそもアジア予選で負ける必要があったのでしょう。しかし残念ながら勝ててしまう人的資本を有していたので改革は先送りされる。悲劇なしに組織が自浄作用を発揮し問題点をクリア出来るかそれはとても難しい問題です。

 

ジャパンズウェイと呼ばれる日本の指針、むしろ今の日本に求められるのは、悲劇なしに組織が自浄作用を発揮し問題点をクリアするという日本らしくない方法なのかもしれません

 

 

第2章 独と西にどう挑む?

 

そして本戦での2大強国のドイツとスペインの特徴の紹介と対策と提案を。

 

2-1 ドイツ戦

 

レバンドフスキのいないバイエルンだったドイツ代表、まぁバイエルンには、もうレバ神はいないわけですが、最終生産者を欠くバイエルンをコアに監督は元バイエルンの3冠監督であるハンジフリック。

 

印象的なのは前プレの強度、サイドをずらして前気味に圧力を高め、ホルダー周辺を抑え込むスタイルを徹底しており、SBでSBをマークするという現象の発生も確認された。パスを出す瞬間にスイッチを入れて全速力で窒息させてショートカウンターを発動させる。

 

このチームの弱点は元も子もないことを言うと、レバの不在とバイエルンの弱点の二つになる。レバ神抜きのバイエルンなので、バイエルンが持つ潜在的弱点とレバ神の不在によりもたらされる弱点が狙い所となる。

 

レバの不在は、攻守両面に見て取れる。

 

ビルドの出口を周辺全て抑えられるとノイアーはレバ目掛けてロングを蹴る。空中戦でも強度を誇るレバは、このロング一本を収めてマイボールにすることも出来るが、ポーランド人のいないドイツ代表ではノイアーのロング逃げはあまり効果はなくボール放棄に等しくなる。

 

そしてレバがいないため、前線は偽9番を採用しており、中盤も含めて積極的にポジションを離れトライアングルを旋回させて相手のマークを混乱させる。そして狙うのはバイタルの拡張であり、その開かれたバイタルに突撃し得点を取る形を得意としている。

 

バイエルンの弱点でもある、高強度のプレスゆえに、剥がされた時にリスクが顕在化しやすく保険のプレスバックも徹底しているものの、人的資本に優れたチームと戦うとサイドチェンジで一気にピンチを作られる場面も少なくない。

 

変幻自在のバイタル解放、高圧力の前プレ、再現性の高い攻守の連動、各ポジションに名手を配置し、コアチームバイエルンからインポートされた共有力

 

極めて危険なチームであり、現状の日本代表に付け入る隙はほぼないと言え、相手がシュートを外しまくってくれることを祈るしかない。

 

前プレで圧力を上げてノイアーに蹴らしてからの回収、コンパクトな布陣を揺さぶるようにサイドチェンジを連発すること、これくらいしか自分には弱点を見つけられなかった。

 

2-2 スペイン戦

 

メッシのいないバルサだったスペイン代表、前項と同じくメッシはいないわけで、ドイツ代表と同じく最終生産者不在のバルサをコアに監督は元バルサの3冠監督エンリケ

 

メッシがいないというところから得点力には不安を抱えている模様だが、基本的には裏を狙う意識が強いように見える。モラタ、オルモどちらでも引いて来てゲームメイクを行ない、相手CBに密着か放置かを迫る。ついてくれば裏をWGが突く。

 

ビルドでも正確に組み上げるよりも、行けるなら裏1発走らせる事も厭わず、名手を多く抱えるスペインらしく長短正確なパスや技術力を活かして、よりクリティカルな攻撃を志向しているように見える。

 

前プレでは積極的に前からハメにいき、ボールを高い位置で奪ってのショートカウンターの発動を狙っている。ドイツほどのマンツーではないが、前からのパス出しを妨害する以上に奪い切ってほしいというエンリケのオーダーを感じる。

 

メッシがいないのでバイタルを開けてもそこから云々するわけでもなく、MFはブスケツとペドリを軸としてあと一人をリキッドフルに試している模様。ペドリがレバとのバルサでの日々で得点能力が向上するとバイタルに突入してのシュートの危険性も増すか。

 

2-3 日本代表

 

では、日本代表として、中を狙うドイツ、裏を狙うスペイン、を考えると中と裏のケアは万全にする必要があり、ノイアーのロングを蹴らせられるだけの完成度の高いプレスが実行出来るとは思えませんし、サイドチェンジで相手を揺さぶり続ける以前にボールを保持できるかも未知数で、スペインからボールを取り上げることなど不可能に近い。

 

そもそも森保ジャパンとは問題解決ではなく問題設定の変更で対応してきました。

 

①第1期 偽翼中島システム

 

森保監督就任前の日本代表の課題は香川とホンダの両立でした。南アW杯の布陣に香川をどう落とし込むか、そこで当時代表監督ザックの選択は攻撃時10番守備時LWGの偽LWG香川という回答でした。森保監督も、これに倣い個人能力に優れた中島をLWGに起用し、攻撃時は自由を与え、そのファンタジスタシステムは攻撃で大きな成果を生みました。

 

しかし、歴史は繰り返す。偽翼香川は守備時にブロック形成が遅れたり、そもそもの奪い切る守備ではなく構える守備における強度の低さからディフェンス時に穴になりやすい。中島も同様の守備リスクを抱えていて、この攻撃と守備におけるアンバランスさに対して森保さんが出した答えは、静観でした。

 

②第2期 バランス時代

 

中島の怪我による長期離脱。これにより再編を求められた森保さんは4231のシステムはそのままに守備リスクの改善のために、中島よりは攻撃で貢献出来なくても南野、伊東、鎌田を2列目に並べたバランス型へと舵を切りました。

 

しかし、この攻守両面において平たくした結果、主な武器は伊東の突破のみであり、突出した武器であった中島の創造性を欠いた結果、その都度相手に合わせた微調整を要求されることになります。今までの中島頼むわシステムではないので。

 

その結果、前述している後出しジャンケン力の低さから修正出来ず、この辺から森保監督の采配への批判が高まったように感じます。

 

③第3期 433時代

 

そしてバランス4231を放棄し、田中、森田、遠藤の3人の中盤を形成し433導入。監督からのトップダウンの指令が出せない以上、現場で決めるしかないとなった時に、川崎フロンターレ出身の選手を多く登用し、スペインにおけるバルサ、ドイツにおけるバイエルンのように共有力を事前に確保するやり方にシフトしました。

 

そして、このやり方で現在までやってきているわけですが課題がないか、というとそんなことはなく外、中、裏の3点を抑える手法が徹底されておらず選手のアドリブ任せになっていることや、何度も前述した通り、相手の不規則な移動や応手に対する後出し力の低さは健在で、その都度一定の混乱の時期が続くことがあります。

 

さらに強化試合でも明らかなように、中盤3枚のアドリブ対応は強豪相手では命取りとなりアジアでは無双出来る伊東や三苫のドリブルも強豪相手では厳しいのも事実。

 

この課題に対し、どう選択するか、おそらくは3バック事実上の5バック導入によるリスク軽減と裏と中を徹底的に閉める方法を選択するはずです。

 

本戦では第4の時代、パークザバスが見られることでしょう。

 

前線には三苫、伊東、浅野のような槍を置いて、耐えてカウンターを狙い続ける日本代表が見られる可能性が高いと想定されます。果たして、そのやり方でうまくいくのか、注視したいところであります。

 

終わりに

 

先日、公表されたJway宣言書。僕も読みました。そこに記されていたのは、大まかな考えとビジョンらしきもの。僕が感じたのは、対世界との肉体的なディスアドバンテージへの後ろめたさから来る過剰なまでのデュエルとフィジカルバトルへのこだわりでした。

 

個人的に大切だと思うのは、これは宣言書にもちらっと書かれていましたが、移民ドーピングなしには日本代表の栄光は厳しいのでは、というところです。ドイツが多様な民族の調和を成しているように、日本代表もハーフやクォーターを始め移民選手を取り入れていくことが、こうした肉体的不利さを覆す方法の一つなのかなと思う次第です。

 

ラグビー代表から学べきはワンチームという聞こえの良い横文字ではなく、多様な移民選手の導入によるフィジカルバトルでの勝敗の是正だったはずです。もちろんトレーニングも重要ですが、こうした部分も国単位で考える必要があるのではないでしょうか?

 

さらに重要なのは国内の人的資本獲得についてです。大谷翔平はサッカーではなく野球を選んだように、少子化に苦しむ日本にとって貴重なアスリート人材にサッカーを選んでもらうためには、サッカー界でもNPBのような高額年俸選手を複数出し続けることが求められる。

 

残酷な話だが、儲けられない業界には人は集まらない。これからJリーグを始めとして、どこまでマネタイズ出来るのか、コロナ禍において声出し応援を巡り小さくない分断を生んでいる時間はないはずだ。

 

果たして日本代表は強くなるのか、果たして自分が生きている間に日本代表のW杯優勝を見ることが出来るのか、期待と不安を入り交えながら、カタールの地で戦う同胞に声援を送りたいと思う。