本記事はシン・ウルトラマンの評論記事で、第1章で筋、第2章で引用、第3章で問題点を書き、第4章でシン・シリーズ次回作シン・仮面ライダーについての予想を与えた。
諸注意として本記事は派手にネタバレをしているので、内容を知りたくないという人は見ることを中止することを強く勧める。
第1章 筋
本作は4章からなり、区分は到来する地球外生命体によって。
今回の庵野版ウルトラマンに関しては襲来種別4編から成り、1966年版ウルトラマン総集編のような形を取る。
(1)怪獣襲来
【調査報告:#禍威獣 (カイジュウ)】
— 映画『シン・ウルトラマン』公式アカウント (@shin_ultraman) 2022年4月16日
次々と日本に発生する
”巨大不明生物”の総称。
政府の公募により”禍威獣”と呼称される。#シンウルトラマン #5月13日公開 pic.twitter.com/6z2vlHBWiO
巨大不明生物が出現(後にゴメスと命名)し自衛隊の総力戦で駆除、再び巨大不明生物第2号マンモスフラワー出現するも炭酸ガスと火炎放射の両面攻撃により駆除、三度巨大不明生物第3号ペギラが出現し駆除成功、一連の巨大不明生物を禍威獣と呼称。第4号ラルゲユウスが出現、駆除捕獲に失敗しロスト。
これを受け政府は防災庁と合わせ禍威獣災害対策復興本部の設置、防災庁内に5名の専門家による対策室を発足、禍特対と呼称。
禍特対の活躍で第5号カイゲル、第6号パゴス駆除成功、新たな巨大不明生物が出現。
現在
首都圏郊外に第7号透明怪獣ネロンガが出現。禍特対に出動命令下令
班長の田村、作戦立案担当官の神永、物理学者の滝、生物学者の船縁の4名で構成された禍特対が現場で奮闘しネロンガが捕食していた電力供給をシャットアウト、陸自の誘導弾攻撃を敢行するも全て迎撃され暴れ出す。その時、モニターに逃げ遅れた少年を見つけた神永は救出に向かう、暴れる巨大生物の前に混乱する一同、その刹那、上空から謎の生命体が飛来、銀色を帯びた巨人が腕で十字を形成し高エネルギービームを照射、ネロンガを駆除し、上空へ飛翔し消え去った。
銀色の巨人はウルトラマンと呼称、禍特対に公安調査庁から浅見が出向した。
第8号ガボラ襲来、第6号パゴス同様に放射性物質を有していることを受け、非常事態宣言B発令、地下核廃棄物処理場を目指すガボラを止めるため、地中貫通型爆弾投下、地中から姿を現したところにウルトラマン出現。肉弾戦闘の末、ガボラの放射線ビームを受け止め、駆除に成功、ガボラの亡骸を抱え上空へ飛翔。
ウルトラマンが放射性物質の拡散に配慮して光線使用の抑制、放射性物質処理の請負、放射線流受け止めと除去に徹し、飛翔する際に禍特対の方を一瞥していたことを受け
人類の味方となる巨大不明生物なのでは、という期待が現場に生まれていた。
(2)偽物襲来
【新情報】
— 映画『シン・ウルトラマン』公式アカウント (@shin_ultraman) 2022年4月25日
映画『#シンウルトラマン』
予告映像にも映り込み
本作での登場が明らかになった
‟外星人(ガイセイジン)#ザラブ”の声を#津田健次郎 が担当!
津田さんからのコメントも到着!
ザラブの声はぜひ劇場で!
どうぞご期待ください!https://t.co/MWVkru5Bal#5月13日公開 pic.twitter.com/oxIZYbMkMd
ある日、外星人ザラブによる大規模停電を禍特対が受ける。自身の能力を見せつけた後に日本国政府に友好条約を持ちかけ、日本国政府としても未知の最先端能力を手中に収める目的で快諾、しかしザラブの目的は人類同士を争わせる形で人類を滅亡に導く事であった。
ザラブの陰謀を知った神永(ウルトラマン)は元同僚の加賀美から情報を入手し、ザラブを追い詰める、しかし反撃を受け拘束。その夜に横須賀にウルトラマンと思しき巨大不明生物が出現、破壊行為の後に消失。
これまでのウルトラマンの行動原理と異なるという見解も出る中で政府は対策本部を設置し事態の収束に向かう。そしてネット上に神永がウルトラマンに変身する様子が収められた動画が大量にup。乗り捨てられた神永の自家用車が発見、禍特対のメンバーは公安出身の神永らしくないと訝しむも、ザラブは日本国政府にウルトラマン抹殺計画を提案した。
廃ビルに監禁された神永(ウルトラマン)に対し変身装置ベーターカプセルのありかを問い詰めるザラブは浅見にベーターカプセルを託していた事を告白することなく沈黙し続ける神永(ウルトラマン)の姿に諦念を感じていた。
再び首都を蹂躙すべく暴れ回るウルトラマン、そして加賀美を通じ神永(ウルトラマン)の居場所を突き止め救出する浅見、あなたは外星人なのか人間なのか?と問う。
ベーターカプセルを浅見から受け取った神永(ウルトラマン)は変身し、ザラブ扮する偽ウルトラマンと激闘、八つ裂き光輪で駆除。ウルトラマンは人類の敵という疑義は消えると共に、同僚がウルトラマンであった事実の前に複雑な感慨を得る禍特対の面々であった。
(3)懐柔襲来
ー新情報解禁ー
— 映画『シン・ウルトラマン』公式アカウント (@shin_ultraman) 2022年3月30日
巨大不明生物による
災害対策を主として設立された
防災庁の専従組織
通称【#禍特対(カトクタイ)】
メンバー
・神永新二(#斎藤工)
・浅見弘子(#長澤まさみ)
・滝明久(#有岡大貴)
・船縁由美(#早見あかり)
・田村君男(#西島秀俊)#シンウルトラマン #5月13日公開 pic.twitter.com/CMj1T7GtKw
ザラブ撃退後失踪した神永(ウルトラマン)と浅見、突如として東京都丸の内に巨大化した浅見が出現、現場混乱の中、『これは私のデモンストレーションだ』という声が響く、その刹那に巨大浅見は倒れ込んだ。
禍特対の面々の前に出現したスーツを着た男性の容姿をした外星人はメフィラスと名乗った後にベーターボックスを用いた人間の巨人化を可能にする先進技術を紹介、浅見を元の体に戻す。その足で日本国政府にベーターボックスを用いた巨人化技術による異星人からの自衛計画の提案をする。
そして行方不明となっていた神永(ウルトラマン)と接触し会食。その場で巨大不明生物の発生は元々地球に眠っていた生物兵器を目覚めさせただけで、真の狙いはベーターシステムによって兵器転用可能な素材である人類が住む地球を征服するために、人類に無力感を与えることで懐柔し自身が独占することにあることを告白し、共闘関係を提案。
神永(ウルトラマン)の答えはNO、ベーターシステム受領式会場を急襲し禍特対のメンバーと協力しベーターシステムを奪還。メフィラスは静かに怒り、ベーターシステムを利用し自身も巨大化し、ウルトラマンと激闘。相見える2人の巨人の戦いは互角の様相を呈する中、メフィラスは、何かを見つけ突然対決を拒否、ベーターシステムを持って消失。
メフィラスが見つめたウルトラマンの向こう側には第3の巨人が立っていた。
(4)審判襲来
【新情報】
— 映画『シン・ウルトラマン』公式アカウント (@shin_ultraman) 2022年4月22日
映画『#シンウルトラマン』主題歌
5/18(水)発売ニューシングル#米津玄師 「#M八七」
米津玄師本人が #ウルトラマン を描いた
超貴重なジャケット画像が公開!https://t.co/oBpt0aibKP#5月13日公開 pic.twitter.com/mC5SfW2Byq
神永の亡骸の前で神永(ウルトラマン)は新たな襲来者ゾーフィからの詰問を受ける。何故禁じられている人間との融合を果たしたのかと。
少年を守るために身を挺して守った神永を理解したかったからだと述べる。ゾーフィはマルチバースの全ての生命体は破壊兵器転用可能な地球人のポテンシャルを知ってしまったとして、脅威となる前に天体制圧用最終兵器ゼットンを用いて殺処分すべきと判断し、地球を終末に導く計画を告げる。
神永(ウルトラマン)は単身ゼットンに挑むもあえなく敗北、ウルトラマンの敗北を受け民間人には終末の時が近づいていることを伏せ、穏やかに”審判の日”を待つ人類。
しかし神永は禍特対に自身が知りうるベーターシステムの基本原理や関連する高次元領域における理論体系を記述したファイルの入ったUSBを船縁に託していた。滝を中心に全世界の知能を結集しゼットン攻略法を見つけ出す。
『ウルトラマンは万能の神ではない。君たちと同じ、命を持つ生命体だ。僕は君たち人類のすべてに期待する』
ベーターカプセルを用いて6次元を通し余剰エネルギーを発生、ゼットンの高熱球を別次元のプランクブレーンに飛ばす方法を立案。ゼットンとの初戦の瀕死状態から回復した神永(ウルトラマン)に伝達。しかし、その計画で神永(ウルトラマン)本人も異次元に飛ばされ帰らぬ人になる可能性も伝えるも、当の本人は覚悟の上で計画の実行に着手する。
見事、作戦は成功しゼットンは駆除、ウルトラマンも異次元へ。そしてゾーフィとのプランクブレーンでの対話が始まる。
ゼットンに立ち向かい撃退したウルトラマンへの賛辞を述べるゾーフィ、そして光の国への帰還を提案。しかしウルトラマンは拒否、自身の命を捨ててでも神永に命を授けることを嘆願する。そしてゾーフィは
『ウルトラマン、そんなに人間が好きになったのか』と問いかける。
人間の未熟さ故に見守り続けたいという意志を述べるウルトラマン。
ゾーフィは願いを聞き入れ神永を地球に返還。
目を覚ます神永(ウルトラマン?)の眼前に帰還を喜ぶ禍特対の4人
果たして神永なのか、ウルトラマンなのか、そんな疑問を観客に投げかけて、米津玄師の『M八七』が終幕を告げる。
第2章 引用
本作監督樋口、総監修庵野にとってウルトラマンは大いに影響を受けた作品だ。故に旧作ヲタにとっては興奮しっぱなしの引用とオマージュのオンパレード。主だったものだけ抜き出し本作の良かった部分として以下に付す。
(1)ゴジラ
まずOP映像からウルトラマンを意識していた。かつてウルトラQと表示されてからウルトラマンと出た事をオマージュして、本作ではシン・ゴジラと表示してからシン・ウルトラマンという題字が出現。
テロップベースでこれまでの禍威獣襲来と顛末が紹介され、既出禍威獣は全てウルトラQ時代の怪獣でゴメスはゴジラからの流用というエピソードをオマージュし本作ではシン・ゴジラそっくりであり、登場禍威獣であるネロンガとガボラがパゴスと同様の指向性を持っているというのも、当時、この3怪獣の着ぐるみが同種のものが使用されていたからだろう。
各禍威獣の倒し方にも旧作オマージュが込められ音楽も遵守されている。偽ウルトラマンとの戦いにおけるウルトラマンが手を痛がる仕草も、かつてのウルトラマンでスーツアクターを務めた古谷敏の挙動のコピーがなされていたり、電話の音なども当時を再現している。
最初に現れたウルトラマンの口元が人間のようにグシャっとなっているのも、かつてのウルトラマンにおいて対話する事を前提に設計されていたというエピソードに基づいていて、シンエヴァ同様に過剰に美化された画作りではなく、当時の質感や黎明期の苦労ゆえの事象も丁寧に再現してある。
カットの構図も旧作の影響を強く感じ、細かなエピソードも取り入れ、正直事前に”予習”していた自分でも全て見つけるのが困難なほど、隠れミッキーの様な趣がなされていた。特に後に判明した事だが、当時の児童誌が発刊を急ぐあまりにゾフィをゾーフィと誤植してしまったエピソードを引用するとは思わなかった。
最後にかかる米津玄師のEDもM78ではなくM87となっているのも当時の台本の誤植を引用してのことらしく、旧作にあった様々なエピソードの引用と再構築を、ここまで無理なく一本の映画に落とし込んだのは素晴らしいの一言だろう。
(2)野生の思考
自分は庵野作品を語る際、その作品の下敷きとして選ばれている引用作品の中で最も主となるものを軸に論評することが多い。
大人の罪を子供たちが背負うことになる『犬神家の一族』の構造を採用した旧劇エヴァ、玉音放送という神の声(福音=エヴァ)を巡って繰り広げられる『日本のいちばん長い日』の構造を採用したエヴァQ、そしてそのQを再構成したシン・ゴジラ。
今回は予告編で岡本喜八の『独立愚連隊』という言葉が使われていたために、個人的には、この作品をベースに調査にやってきた主人公を中心に科特隊の中に裏切り者との戦いを描くのでは、と予想していたが本作では意外な作品を下敷きの中心に置いていた。
レヴィストロースの『野生の思考』である。予告編に登場してはいたが、あれは異星人の思考を理解するために主人公が読んでいるものと思っていたため、ここまでガッツリ引用されるとは思わなかった。
『野生の思考』は”未開人の行動原理には合理主義的な指導原理があるのではないか”とする構造主義的な書籍で、西洋諸国の思想の広範囲への拡散は文化や思想を前進させたというよりは多様な価値体系や思想を消失させてしまったのではないかと述べている。
ウルトラマンが神永の献身の理由を求め人類を研究する中で進んだ文明である光の国の住人である自分には想像し難い様な多様な価値観があることを見たのだろう。
『あなたは外星人なの、それとも人間なの?』
浅見の問いに対してのウルトラマンの回答は
『両方だ。間にいるからこそ見えてくるものがある。』
これはレヴィストロースの立場を表している。そして、その間の存在から人類を見つめることでウルトラマンは地球人を守り抜く事を決意する。
だからこそ、人間が好きになったから人類を防衛しているわけではなく、進んだ文明の浸透によって失われゆく野生の思考を保全することを重要視したからこその決断だったのだ。
ただ、そうなってくると旧作にあった、ウルトラマンと人類が手を合わせ防衛し続けた日々がウルトラマンの地球人への愛着に繋がり身を挺してでも地球を守るために戦う、というカタルシスが失われてしまったように感じて、少し残念な引用ではあった。
そんなにレヴィストロースが好きになったのか、ウルトラマン
の方が適切なキャッチコピーなのではないだろうか?
第3章 諸問題
本作は初代ウルトラマンのパロディや引用が満載で楽しめるのは事実。しかし展開や演出に関してはクエスチョンマークを感じざるを得なかった。
①神永救出問題
まず物語の起点となる神永とウルトラマンの出会い。神永は禍特対のメンバーで各省庁や学術組織から選ばれた貴重な人材だ。そんな人間が避難し損ねた少年を見つけたからといって直接救出に向かうだろうか。
例え見つけたとしても救助は現場の避難誘導をおこなっている人間の仕事だ、それを許可し、今回のように事故に巻き込まれたら取り返しの付かない事態になりかねないということは容易に想像出来たのではないだろうか?
いっそ神永を現場の避難誘導を行なっていた人間と設定して、少年救出の際にウルトラマン事故に巻き込まれ、早期にウルトラマンであることが露呈し彼を監視下に置く名目で禍特対に、というので良かったのでは?
②滝君に至急問題
終末が迫る地球においてウルトラマン神永が残したUSBメモリー、とても重大なベーターシステムに関する学術体系が書かれている。それを船縁に託した。彼女は生物学者でUSBメモリーの中にTeXで書かれた物理学体系の概形は理解出来るはずで、ならば一刻も早く物理学を専門とする滝に見せるべき。
しかし、滝が自身の限界を超えた先進技術の前に無力感を感じ、ストロングゼロを飲みながらやさぐれてる時に、スッと船縁がUSBの存在を伝える。この時、劇場で
『もっと早く見せろよ!!!』と心の中で僕はツッコんだ。
一分一秒を争う中で、何故そのような重要なデータの存在を早期に伝えないのか?
③好きになるかな問題
本作のキャッチコピーにも使われているゾーフィのセリフ
『そんなに人間が好きになったのか、ウルトラマン』
本作、ウルトラマンが人間を好きになるに値するだけの積み重ねがあったとは言い難い。より本質的な問題だが、初代ゴジラという映画をシン・ゴジラという映画にリビルド出来ても、ウルトラマンはTVシリーズであるために、尺の問題で急速な展開にせざるを得なかったという構造的な弱点を感じる
ウルトラマンが人間を好きになる理由、それは結局のところ愛ではないか、より正確に言うなら愛着か。自分の責任で絶命させた隊員の意志である地球を襲来者から防衛するという任務を人間と共に相当数クリアしていく過程そのものが、このセリフには必要で2時間弱の映画の尺の中で愛着にまで至らせるのは無理があったのではないだろうか。
このTVシリーズを2時間の映画一本でやり切るの、そもそも無理なんじゃないか問題は今作がシン・ゴジラに比べて旧作ヲタへの目配せが前面に出ながらも、それ以上に積み上げが難しかった最大の要因なのかもしれない。
④独力で倒せなかった問題
本作のクライマックスの構造は旧作からの引用であろうが、最大の敵ゼットンを旧作では人間が開発した無重力弾で勝利し、ウルトラマンがいなくてもやっていけるという希望を残して終幕するわけであるが、今作は異なる。
確かに作戦の立案は人類がしてはいるものの、大きなヒントはウルトラマンからの資料提供によるものであるし、実行もウルトラマンによるものである。これでは人類は破壊兵器への転用性を全宇宙の生命体に告知し襲来を誘致してしまう危惧がある中、ウルトラマンは去ってしまった可能性があるわけで、これから先に希望を見出しづらい。
そして、ここでも作戦立案のスピード感が異常に早く、やはり積み上げるには、あまりにも2時間は短すぎたと結論出来る。
そもそも本作を含め2018年の企画立案段階において、
2020年 シン・ウルトラマン
2022年 続・シン・ウルトラマン
2023年 シン・ウルトラセブン
という3部作が構想されていて2作目に関しては庵野脚本監督で、そもそもが連続体の一つとして見た方が良いのかもしれない。
しかし樋口はパンフレットの中で次作があるなら若い人で、と述べ、庵野本人もデザインワークスの中で次作は本作の売上次第とも言っており、バルタン星人を出せなかった悔恨や、次作は怪獣攻撃隊も登場させたいので戦闘機や基地の撮影などで製作費は膨大になり、制作環境も考えると本作の売り上げを参考にはするが映像の質の担保は出来ないのではと疑義を呈していた。
だからこそ本作単独で、詰め込み過ぎの旧作ヲタへの目配せ映画と評するのは適切なのかも考えてしまうところで、評論が大変難しい作品である。
⑤長澤まさみ問題
多分炎上するだろうなぁ、と思っていたら案の定だった。そして、その理由はエンドロールを見ると明らかになった。
総監修 庵野秀明
おそらく本作は庵野の関与はシン・ゴジラほどではない、むしろ役者への演技指導や演出は樋口の影響が強いのでは?
これは自分だけではないと思うが、樋口は特技監督としては最高峰であり、人柄や調整能力も抜群の人材であるが、公的発言の不味さに加え純粋な映像作家としては厳しいレベルにあるのは間違いないのだ。
それはシン・ゴジラの座組みから庵野色を抜いただけに近い進撃の巨人の実写版を見てもらえれば分かる。そもそも人の演技の付け方が不味すぎる時がある。
原作ではエレンは母親を目の前で巨人に食われたことで巨人と戦う決意をします。しかし、彼を中心にした一本の映画で考えると、それでは単なる報復物語であって、動機としては弱いんじゃないか、
普通に考えて目の前で母親を食われたことが弱いという発言は言わなくても。
そして本作、長澤まさみの巨人化に際し、リクルートスーツであるため下はスカートである。巨人化したことで下から女性用下着が見えるかもしれない、といった絶妙なアングルでの撮影に加え、謎の尻叩き決意シーンの連発、一体これは何なのだろうか?
ちなみに尻叩きに関しては脚本段階で存在したらしいので庵野の演出なのだろうが、やはり庵野はクールに人間を並べる方が良いのかもしれない。
そもそも人間のウェットな部分を徹底排除が得意なのに、グループの熱い友情やチームワークを描かせるべきではないのだろう。
更に、この巨人化した自身の動画が数々投稿されてしまい、メフィラスへの恨み節を語るところで、メフィウスが動画を全て自身の能力で消去し、大喜びする浅見。
しかし冷静に考えてほしい。今upされてる動画を消したところで、巨大な人間が都内を暴れ回る映像がupされているものだけなはずはない。日を置いてから何本もupされていくはずで、消したところで記憶にはあるわけであるから、手遅れなのではないだろうか。なのに喜ぶ、というのは禍特対に派遣される優秀な人間とは思えない。
樋口に操縦を任せすぎたことの弊害なのかもしれない。本作は庵野作品というよりも庵野風味のある樋口作品なのだろう。神永と浅見のキスシーンが撮影されていたらしいが、庵野がカットしたらしく、こういう所を見ても、どういうウルトラマンを目指すのか、という部分でコンセンサスが取れてなかったのではないだろうか?
⑥新規性欠如問題
シン・ゴジラは多層的な作品だった。
空転してしまったエヴァQの別解
3.11を落とし込んだ作品
プリヴィズを利用した肉人形劇
これに比べるとシン・ウルトラマンは背負えたものが少なく、4編の異星よりの襲来者との戦いを並べたオムニバススタイルとなっており、何度も言うが、2時間にまとめ上げるにはしんどかったのかもしれない。
演出に関しても、そもそも庵野作品自体が脱構築コピー系なので、どこかで見たものの再現でしかなく、シン・ゴジラで既に庵野秀明が特撮実写映画を撮ったら、という仮想実験の最高の結果を見てしまっているのでフレッシュさにも欠けていたように思える。
旧作にあった感動を、旧作にあった質感のまま伝えたい、という制作者の意志は感じるのだが、尺の問題で、新規性をあまり感じなかった。
使徒のようなゼットンには惹かれるものはあったものの、期待が大きかった分、少し残念な部分もあったのは事実だ。ゴジラの時とは比べ物にならない思い入れから来るオマージュを短い尺でやり倒してしまった弊害の方が目立った印象である。
シン・ウルトラマンをまとめると
旧作ヲタへは目配せとおびただしいオマージュと引用で喜ばせられるだろうが、TVシリーズの強烈な圧縮が物語の進行に支障をきたしており、旧作にあったウルトラマンの面白さを現代に伝える作品ではあるがシン・ゴジラの完成度には及ばない
と自分は結論づける。
第4章 最後に
【単発カラー劇場映画 #シン・仮面ライダー 撮影想起】
— 『シン・仮面ライダー』【公式】 (@Shin_KR) 2022年1月10日
本作の撮影は昨年末でひと段落となりました。今後、撮影の様子を振り返る写真を中心にご紹介していきます。
撮影 #庵野秀明
引き続き、制作は続いておりますので、最新の状況をお届けする時もあるかもしれません。
御期待ください。 pic.twitter.com/ca00NmiUCg
庵野秀明、稀代の脱構築技術を活かし、シン・ユニバースを形成。前作のシン・ゴジラに続き、今作シン・ウルトラマン、そしてシン・仮面ライダーの公開も予定されている。その後、どうするのだろうか?
シン・仮面ライダーを公開してからは、映像作品を撮れるだけの体力が整うまでは、カラーの社長業や他作品の手伝いといったところに留めるらしく、年齢面や体力面を考えても、庵野作品の新作を我々が鑑賞できるのも、あと数本かもしれない。
ここで最後に、シン・仮面ライダーの予想を付しておきたい。ちなみに本作の予想もシンエヴァ評論の際に行っていたが、結構外してしまったので、あまり自信はないが笑。
まず、TVシリーズの映画への落とし込みによる本作でも発生した問題と同様の状況が繰り広げられてしまうという危惧である。仮面ライダーでは主人公が改造実験を受けるも、命からがら緑川博士の助力で逃げ出すも、緑川博士は殺害され、その娘であるルリ子からは父の敵と勘違いされるも、共にショッカーと戦う中で仮面ライダーの本郷に惹かれる。
この部分を基軸に制作が進むと思われるが、前述の詰め込みすぎる問題に加え、本作の長澤まさみ炎上劇が浜辺美波にも襲いかかる可能性もある。庵野シンシリーズの新たな炎上の被害者にならないか心配でならない。
ストーリーとしては緑川の推薦により本郷の拉致、改造実験、脳改造の途中で緑川博士が良心の呵責に耐えられず共に逃亡、追ってきた蜘蛛男に殺され、ルリ子に恨まれる本郷、そして共にショッカーと戦う中で芽生える恋、そこに現れるライダー2号、といった形か。ショッカーはゼーレの様な立ち位置を取るだろう。
心配なのは、そんなに好きになったのかウルトラマン不発問題の再発生。ルリ子が本郷に恋に落ちている様を本当に2時間という尺で描き切れるだろうか。
おそらく、ウルトラマンも仮面ライダーも映画ではなく、TVシリーズで作る方が良いのだろうが予算や制作費の問題から難しいのだろう。
本作、正直期待値から比べると少々ガッカリ感を感じ、改めてシンゴジラがいかに素晴らしい作品だったのかを再認識した。そして、あのレベルの映画に出会う事は当分ないかもしれない諦念も胸に去来している。しかし来年3月公開予定のシン・仮面ライダーの上映初日に自分は駆けつけるはずだ。
監督 庵野秀明
それが僕の好きな言葉なのだから。