牽牛星のよろず日記

自分の興味あることを思うがまま記述したいと思います。

坂道グループとペップを巡るメタゲーム

ペップチームを12年間定点観測をしている自分が、ふと思いついた、メタネタなのだが、ドルヲタ兼フットボールヲタの方に刺さって面白がってくれたらと思う。

 

 

 

①乃木坂とペップバイエルン

 

(1)乃木坂生誕の理由

 

AKB48は所属メンバーの質にとらわれない安定的な集金方法の開発と様々なイベントによってアイドル界ひいては日本芸能史に大きな影響を与えたメガグループで、CD販売を巡る衝突や方針の相違からゼロ年代後半にソニー傘下のデフスターレコードから契約解除を言い渡される。このことについて『逃した魚は大きかった』といったキャッチコピーを後に作品群で付したことは有名。この後に歴史的なアイドルグループになったので、ソニーの判断は経営面では大きな間違いだった。

 

秋元康avex吉本興業、ワーナーと提携し、SKE48NMB48HKT48を結成しアイドル界を完全制圧した。この趨勢からソニーが頭を下げて秋元康と手を組んで作ったグループこそ乃木坂46だった。

 

当時のAKBグループは無双状態。秋元康という芸能界の酸いも甘いも知り尽くし豊富な人脈と経験に裏打ちされた話題を呼ぶアイデア、圧倒的な歌詞創作能力、世界観の構築も含めたプロデュース能力、そして実利的集金スキームの構築、この男が生み出した最高傑作AKB48は順調に見えるが、10年代前半にピークアウトの兆候が見えていた。

 

肥大化するグループは統率も取れず、何よりグループが増えすぎて歌詞のレベルも低下気味。そんな中で自身の望む理想の具現化は自身の影響力の低下に伴い遠ざかっていることは感じていたはずだ。

 

AKBが消化されつつあった中でソニーという自分に負い目を感じている組織ならばAKBグループを前例として、より強固な集団を形成できると考えたのではないだろうか。無理筋でもソニー秋元康にはNOとは言えないだろう。

 

AKB48の公式ライバル』というキャッチコピーで集められた顔面偏差値の高い美少女たちは徐々に知られていく。AKB48のリクアワでの表題曲の披露やスカートを大きく捲り上げるパフォーマンスを見ると秋元康にとってもソニーがどれほどの無理筋に耐えられるかのテストも踏まえての初期計画の実施だったのだろう。

 

スタートは順風満帆ではなく、どういった楽曲イメージをどういった主軸を中心に推し進めるかが不明瞭で初期の表題3作品はテーマもバラバラ。センターに固定された生駒里奈へのバッシングも大きくなりつつある中で秋元康は頑としてセンターは生駒で固定した。

 

そして遂に最適解を見つけた。4thシングル『制服のマネキン』。フロントは年少の生田絵梨花生駒里奈星野みなみという生生星を形成、その後ろに松村沙友理白石麻衣橋本奈々未という御三家、後世語り継がれる座組が完成、生駒体制で一つの到達点を獲得、また楽曲としてもこれまでの統一性のない世界観から一変した。

 

この布陣を継続して迎えた5th『君の名は希望』は乃木坂の代表曲となった。前作に続き自我との相剋というテーマでキミとボクの物語という世界観を打ち出すことに成功し”楽曲の乃木坂”との定評を獲得し始め、この時期の乃木坂は方向性も定まり黄金期間近の様相を呈していたが生生星+御三家の布陣は、このシングルを最後に永遠に見られなくなる。

 

2013年春シングル『君の名は希望』で一つの到達点を迎えた乃木坂は、ここで大きな決断を下す。結成以来固定されてきた聖域センター生駒を交代し、白石麻衣をセンターとし御三家フロントの夏シングル『ガールズルール』が表題曲としてリリース。生駒に対するバッシングは当時すごく、本人の心理面を考えても交代は妥当で御三家をベースにしたガルル自体がライブの定番曲として支持されている現状を見ても、この判断は正しかった

 

(2)捨てられた最適解

 

7thシングル『バレッタ』でセンターに指名されたのは、その年の5月に加入したての2期生堀未央奈。この決断により、乃木坂に大きな衝撃と動揺が走る。おそらくAKBにおける『大声ダイヤモンド』の松井珠理奈センター抜擢の乃木坂亜流版をやりたかったのだろう。しかしこの判断は後に3つのしこりを残す

 

まず一つ目はファンからの信頼の減退、実績のない堀抜擢は現行メンバーの努力の否定であり、過度な世代交代を実現する必要は前3作の成功を見ても不要で『大声ダイヤモンド』での松井抜擢は、現行メンバーへの刺激策としての起爆剤的起用であり、曲の完成度もあって成功を収めたが、当時小学生の珠理奈に対する強烈なアンチを生み、諸刃の剣的起用としてリスクが大きいのにも関わらず、なぜ乃木坂でもやったのか、ヲタの乃木坂全体への不信感を抱くきっかけになってしまったのではないだろうか

 

2つ目としては新規生初参加シングルでのセンターは新規生が務めるという前例ができてしまったこと。これは現在まで伝わる半ば伝統と化し、これをやってしまうとセンターを中心に歌唱、ダンスを行うために当然の如くスキル不足に伴う制約を楽曲が受けてしまい表題曲の到達点は低いものとなってしまう

 

3つ目は2期生に対する警戒感をファン、メンバーそれぞれに抱かせてしまったことだ。一期生にとっては自分達のポジションを奪う因子、ファンの民意を無視した世代交代の見方は少なくない負の影響をもたらした。これが2期冷遇に繋がり研究生制度という準メンバー扱いを長い間強いられるという愚策を招き、むしろ世代交代を遅らせることになってしまった

 

13年夏までの黄金期間近の雰囲気から1年間でセンター堀という愚策に加えて、年が明けても生駒里奈松井玲奈の交換留学制度が発表された。

 

交換留学制度とはAKB(と言ってもバリバリのSKEの生え抜き中核)の松井玲奈生駒里奈のトレードではなく事実上の二重在籍であり、乃木坂にとっても毎回選抜で松井席を設置する効果は薄く、センター以外の適性の低い生駒も一度外に出す意味での企画だったのだろうが、やるならいっそ移籍させたほうがよかった。

 

このことでもAKBとの積極的介在を嫌がるヲタの不興を招き、たった一年で『希望』は失望に変わった。また忘れてはいけないのが非選抜メンバーで構成された通称アンダーメンバーも固定化されてきたこと、歌唱力、ダンス力に優れているメンバーがアンダーで塩漬けにされていることは少なくない反感を買った

 

迎えた14年春シングル、乃木坂運営はヲタの怒りを鎮めるためにわかりやすくセンターと選抜を決めた。それはAKBのような総選挙系イベントを持たない乃木坂にとって人気を測るバロメータの一つであった握手会成績の順に前線から並べた。

 

ドルヲタなら、よくおわかりだろうが現代アイドルにとって握手会は切っても切れないものである。素人同然のメンバーを下積みなしで舞台あげて集金を達成しようと思えば接触系イベントを積極的に駆使することは必須。AKBは接触イベントの参加券をCDシングルに封入させ総選挙の投票権を付加させるといったいわゆる『付属商法』でオリコンシングルチャートで毎回ランクインさせミリオン達成の成功を収めた。

 

総選挙のような直接民主主義政策はヲタの支持を得やすくAKBの成功に大きく寄与し、乃木坂運営は低下した支持率回復のため握手会売上を重視するようになった

 

そして選ばれたのが西野七瀬握手会成績に優れて熱心な固定ヲタが多く一期生でもあるので失った信頼を回復する意味でも有用だった。

 

(3)握手+ビジュアル

 

西野七瀬は膨れ上がった負の民意を鎮めることのできる握手人気があったが、彼女が一番優れていたのは、秋元康の創造意欲を強く刺激することで楽曲の質を著しく向上させる能力だ。

 

秋元康が手がけるグループは膨大な数で、その数は今でも肥大化の一途を辿っており、その中でどうしても歌詞の質に差異は出てしまう。秋元康から良質のアイデアを出しうる存在はグループの楽曲の質を向上させるだけでなく注力にも関わるので重要な要素になる(指原、前田が持っていた才能)。8th、9thで連続センターとなった西野、9thでは乃木坂史上初のシングル売り上げ前作割れを起こし2013年秋の堀抜擢から発生した緩やかな減退曲線が表層化していた。

 

この危機に運営がとった手が原点回帰、生生星時代の世界観の楽曲を打ち出すべく生田絵梨花をセンターに中興の名曲『何度目の青空か』が生まれる。内省的なボクの物語を綴り、握手選抜によりパフォ力を度外視した選抜を産み続けた嬉しい弊害として最強の2軍アンダーも切なく扇情的な『僕は咄嗟に嘘をついた』が生まれ、楽曲の乃木坂の復権がなされるはずが、運命は残酷にも刹那的な復権を打ち砕く

 

乃木坂最大のスキャンダル、松村文春事件、を受け前述した復権は崩れる。思想の回帰の議論は減退し松村の処分についての議論、そしてグループの悲願、紅白出場が泡と消え、その責任はスキャンダルにあるという言説が延々と議論された。仮想恋愛相手としての職業倫理をめぐる議論が展開されてしまったことで『何空』の評価が正しくなされず、その後のシングルでは運営の序列主義と握手売り上げ至上主義の二本柱に基づく選考が機械的になされた

 

2015年は紅白出場を目標に、白石+西野の体制で乃木坂はビジュアルに優れた白石のようなメンバーが西野のような儚げな表情が映えるような世界観の楽曲を生み出す、という世間のイメージを作り上げ、無事に紅白出場、2016年は深川、橋本の卒業、齋藤飛鳥のセンター運用こそあれど、白石西野をどう活かすか、という方向でピークを迎えた

 

この音楽性を高めることがプライオリティの上位から除かれてしまった結果、確かにブランディングには成功はしたものの音楽アイドルとしての地位は初期のピークには及ばないものになってしまった。

 

連動性を売りにしたインフルエンサーは高速パラパラダンスと化し、『いつかできるなら今日できる』では、フロントメンバー、飛鳥、西野、白石、堀は生歌で歌い出す曲なのだが、これはYouTubeなどでも映像が落ちてると思うので是非見てほしい。四人全員が音を外し、声量も絶望的に足りていない。国民的アイドルと言われていたものの、良質な音楽を届けるという点では物足りなかったと言わざるを得ない

 

(4)巨人を求めた理由

 

ペップがバイエルンに見た未来、それはバルサで成し遂げることの出来なかった事にある。メッシを活かすために多様性を捨てざるを得なかった。チェルシーに中央圧縮されてから応手に困った、だからこそバルサではなし得なかった多様性の確保、そのためにUT性の高いSBと強烈なサイドアタックが可能な両翼のいたバイエルンを選んだ

 

中央にはマンジュキッチがいたが、ペップの理想としてはゲッツェという10番をドイツのメッシとして偽9番化し、強烈なサイドアタック、クロス爆撃、偽9番、SBのUT性を利用した多様なビルドとポゼを可能にすることにあった。

 

バイエルンではバルサでの最適配置理論の言語化を進め、多様な攻撃を具現化しドイツ国内で”赤いバルサ”を具現化した。CLシティ戦では偽SB、偽9番、クロス爆撃とペップの目指す未来が見てとれた。クロップ率いるドルトムントの苛烈なカウンタースタイルにも対応した。リーグのドルトムント戦はペップバイエルンの最高の名刺となった。

 

ラーム、アラバ、ハビというUT選手が状況に応じて4つのポジションを変換し、ゲーゲンプレスをハビとマンジュキッチめがけて投げることで回避、相手のプレスが止むとゲッツェを投入し偽9番発動、先制点を奪う。ドルトムントが反撃の意思を見せるや否や、受け止めてから、ロッベンにパスしカウンター発動。そして最後は細かいパス交換から最後はミュラーがゴール。

 

中攻め特化のバルサ時代から多様性のバイエルン。その意思がはっきりと見て取れる。しかし、この理想的な多様性は打ち砕かれることになる。

 

(5)捨てられた理想

 

CLではBBCの前に惨敗、翌季もMSNの前に惨敗。確かにバイエルンは世界的に強いチームだった。しかし最大値は覇権レベルになかった。課題はフィニッシュ。国内、そしてCL8強までなら問題はない。しかし一発勝負においてメッシ、ロナウドクラスの戦力のいないバイエルンは、どうしても厳しかった。

 

CLにおいて、最大値、ピーク値が大きく関わってくる。その際、スコアラー、必殺技を持っていないチームはどうしても苦しいのだ。これはシティでも大いに苦しむのだが、スコアラーがいないとどうしても格上同格相手の試合では苦しい展開を招いてしまう。

 

そして怪我。異常なほどに怪我人が出る。UTで乗り越えられるがCLでは限界だ。そしてペップは理想を投げる。偽9番ゲッツェを中心としたバルサのような中攻めとバイエルンの持つロッベリーという強烈なサイドアタックの共存という青写真は捨て去られた

 

それは、まるで最適解に見えた乃木坂の生駒という周囲を活かしうる非純正センターを放棄し白石、西野という2トップに傾倒していったように、ペップばゲッツェではなく、レバンドフスキミュラーという2トップの生産能力の最大化から逆算したチームを設計し、逆足ウイングであったロッベン、リベリの起用も当人の耐久力の低さも相まって減少する。

 

(6)レバ+ミュラー

 

レバンドフスキの最大の特徴はボックス内での決定力。レバをフリーに出来る神出鬼没のポジショニング可能なミュラーは良き相方となった。レバミュラにいかに点を取らせるか、そこから全ては作られた

 

ハイクロス爆撃が主武器となり、ロベリよりも同足でサイドを破ってクロスを供給できるコスタとコマンがスタメンとなった。サイドで一対一を形成するための偽SBは継続されラームとアラバは機軸であり続けた。

 

ラームとアラバが内側に絞りビルドを形成、サイドへの道筋を作り、WGへパス、そして一対一から突破しハイクロスをレバミュラへ供給しゴールを奪う。これがペップバイエルンの出した最大値で殴り合うCLを制圧するための現実的ソリューションだった。

 

ペップが持ち込もうとしたバルサ要素である偽9番ゲッツェ、ティキタカの具現者アルカンタラはベンチが増え、中攻めの能力が減退した外攻めクロス爆撃集団となった。確かにこの攻撃は苛烈でユベントスに2点リードされて迎えた場面でもクロスからレバミュラが決め死闘を制したことからも明らかだった。

 

しかし、中攻めを捨て去ったことで、5バックでサイドで一対一を作らせないようにするトゥヘルドルトムントには苦しみリーグでもかなり際どかった。そしてCL4強アトレティコ戦ではミュラーがPKを外し、バルサ時代の栄光が訪れる事はなかった。

 

バルサ時代の知見を活かした多様性を持つチームという理想は具現化されず、世界的に注目度の高い強いチームではあったが最強にはなれなかった。この物足りなさからバイエルンサポーターの間でもペップ政権は失敗だったと評価する向きもあった。

 

②欅坂とペップバルサ

 

(1)制服のマネキン2.0

 

鳥居坂、誰も今や覚えていないだろう。そんな名前で乃木坂の妹分グループはオーディションを開始した。AKBの支店はどこも本店を越えられなかった。いや、正確には越えそうになったら人材を奪い去った。それにより地域性は破壊され秋葉原への人材供給機関になった。鳥居もそうなる、そんな思いを破壊するアイドル史に残るグループは静かに誕生した。

 

2015年、集められた少女たちは欅坂と改名され始動した。目指すのはAKBという前例を活かした乃木坂と同様に乃木坂という前例を活かしたグループ。乃木坂の問題点と課題、それらを活かすのが欅坂の当初の方向性だった。

 

乃木坂の良かった部分は集金装置としての完備性、悪かった部分は二期冷遇、握手選抜による選抜方針の優先順位の変更、実力差のアンダー塩漬け、そしてそれらを招いた元凶である仮想恋愛ビジネスへの依存。

 

最終選考を辞退した長濱ねるの処遇に早速反省が見られる。二期を研究生として宙ぶらりんにした反省から、ひらがなけやきという別働隊との兼任との形に据え置き、またアンダー塩漬けを防ぐために、独立して動かす方向性も見せた。

 

2016年、『サイレントマジョリティ』でデビューを果たす。その中で示されたのはオトナへの反抗、そして制服のマネキンで描かれた自我の芽生えにも重なるテーマを提出し、笑わないアイドルというイメージも打ち出した

 

勿論、職業仮想恋愛のスタンダードな集金イベントである握手会は開催するが、仮想恋愛に依存せず作品の良さで勝負する、という姿勢はそこかしこに見てとれた。乃木坂の成せなかった作品性に殉ずる姿勢を見せた。全員選抜による握手売上競争の廃止、乃木坂が陥った失敗を活かしたスタンスを見せ続けた。

 

サイマジョはアイドル曲の枠を超え多くの人々に愛され、あらゆる音楽指標において乃木坂が成し遂げる事の出来なかったことをたった一曲で成し遂げた。YouTubeにupされたMVは最終的に一億回再生を記録、金字塔を”初登板”で成し遂げた2016年、過言でなく日本音楽界の中心に欅坂はいた。絶対的センター平手を中心に振付師TAKAHIROと作詞家秋元康、そしてソニー資本力によって作り上げる世界観は、乃木坂を”作品性”において抜き去っていた

 

(2)天才のために

 

確かに生歌は少ない、どうせ口パクなら激しく踊るなり動けば良い考えたのか、欅坂は楽曲というよりも魅せる音楽に近しかった。

 

乃木坂が深川、橋本の卒業シングルで仮想恋愛スキームでせっせと集金していた一年とは対照的に仮想恋愛に抵抗を示しながら欅坂は圧倒的な存在に向かっていた。アイドルが好きでない人もファンを公言していて、アイドルらしくなくて好き、という印象的な感想が並んでいたのを記憶している。正確に言うと、恋愛禁止を軸とし、仮想恋愛を主集金スキームとする方針とは明らかに異なる方向性が好かれていたと言えよう。

 

2016年が欅坂のピークだった。完備性を高め続ける世界観とは対照的に集権化が招く漆黒な様相を欅坂は纏うようになっていく。脱仮想恋愛の欅坂が奏でていた流麗なメロディに突然”不協和音”が生じ始めていた。

 

春シングル『不協和音』から狂いが生じる。描かれる世界観に変化が生じ始めた。オトナへの反抗ではない、個性を巡る軋轢の物語へと変わり始めていた。異なった意見を述べることへの逡巡だけでなく、周囲と自分のズレ、それはオトナへの革命軍の内紛のように見える。そして明らかに平手の顔つきと振る舞いに異常な変化が見られ始めていた。笑わないと通り越して病んでいるような挙動を示し、乃木坂でのガルル時代手前の生駒のように表現上の演出を超えた苦しみが見てとれた。

 

そして握手会襲撃事件が発生する。幕張メッセでの握手会で発煙筒が放り込まれた。以前にAKBも襲撃を受け、その際にメンバーが負傷し、その精神的ショックが拭えず川栄李奈は卒業した。なのにも関わらず握手会は継続された。理由はメンバーとヲタの絆といったことも挙げられると思うが、早い話が集金装置としての握手会を捨てる判断が出来なかっただけだ接触イベントを辞めると食い扶持が減るから数ヶ月の自粛しか出来なかったのではないだろうか?

 

過剰な仮想恋愛ビジネスへの抵抗となる欅坂は握手会を続行した。襲撃翌日も握手会を開催しようとしていた。結局”普通の”アイドルと何も変わらないのか、そんな疑念を抱いた時から緩やかに欅坂は揺らぎ始める。

 

ひらがなは独立したグループではなく完全なバーター扱いで、乃木坂二期やアンダー同様の塩漬け状態にあった。活かし方のなくなった長濱は兼任を解除。平手中心のスキームのシャドーキャビネットは失敗し、平手に代わるセンター候補の長濱は宙ぶらりんになり、今泉も夏の全国ツアーまで活動を停止し欅坂は壊れ始める。

 

平手中心のスキームはやめられない。ひらがなの活かし方もわからない。かつての乃木坂のように低迷の匂いが漂い始めるが乃木坂とは異なる作品性の高さ、表題4曲全てで印象が異なり、秋シングル『風に吹かれても』もまた、これまでと異なる様相を呈し、年明け春シングル『ガラスを割れ』はロック風と、楽曲の乃木坂の弔い合戦という意味では最高の戦績を上げていたのは事実だった。

 

2017年末の紅白において『不協和音』のパフォーマンス中に平手、鈴本、志田が倒れ平手は右腕筋肉の損傷で休養、2018年に入ってからも体調はすぐれずライブに上がってしばらくするとケガで退場を繰り返し、稼働不可の状況にあることは誰の目にも明らかだった。しかし運営はセンター平手を辞めなかった。乃木坂が表題4曲で生駒を降ろしたようには出来なかった。それほど圧倒的な存在だった欅坂46絶対的エース平手の表現力を最大限に出力する器、平手なくして欅なし、世間では平手坂と揶揄されたが、その通りである

 

(3)デカダンス

 

平手は限界だった。事実上の控えなしの平手依存、ただこの苦しみながら病んだ表情を浮かべながらのパフォーマンスが一種のエンターテイメントとして成立してしまう皮肉があった。そして運営は、この病んだエンタメ路線を継続させる。平手依存が深まれば深まるほど皮肉にも『不協和音』以降のダークな世界観とマッチし常人ならざる絵面が見るものを強く惹きつけてしまうのだ。職業仮想恋愛に抵抗し乃木坂が果たせなかった高品質の楽曲をリリースし続けるというスキームは平手の犠牲の上に果たされていた。

 

夏、志田が文春砲によって交際相手と思しき相手の存在が報じられる。運営はとりあえず休養させ、うやむやの内に11月卒業が決まった。そして今泉も卒業、この2件は21画の欅という漢字とかけた21人のメンバーの終焉であり、平手一強体制の中で指揮系統に混乱が生じているのではと思わされた。

 

欅坂運営を見て思うのは判断する事自体を辞めていたのではないかという疑念だ。平手を中心に表題を生み出す。その過程で何が起ころうと、その過程自体が物語となる、だからこそ最低限の設営という”側だけ作る”に留め、何が起きても取り敢えず静観する以外の選択肢を持っていなかった。しかしそれが娯楽としては最高の形として消化されてしまうという皮肉なサイクルが指揮系統の否定、判断の否定につながったのではないだろうか?

 

誰かに問題が起きると取り敢えず休養させる。そして解決不能なら本人の好きな選択をさせる、運営は何も足さないし何も引かない。志田は運営への文句を一切卒業後に言わず、むしろ感謝を伝えていた事からも、それが読み取れる。良く言えば自主性の尊重、悪く言えば運営機能の放棄であり、この頃から欅坂運営の顔が全く見えなくなってしまっていた

 

欅坂がサイマジョで示したオトナへの抵抗運動は完全に欅坂の勝利に終わった。オトナは完全に彼女たちの周囲から消えていた。そこにいたのは、ただの傍観者であり、何か問題が起きても何も有効な手を打たないオトナなき世界だった

 

そして2018年紅白を平手は欠席する。普通の人なら思うはずだ。何故ここまでセンター平手を引っ張るのか、誰も対案もなければ変えようという判断ができなかったのだろう。2019年春シングル『黒い羊』が発表。そしてこれが平手在籍時代最後の表題となる。製作体制が臨界点を迎えていた。

 

黒い羊は邪魔者を意味する、周囲と違うことに苦しみながら自我を表明する大切さを歌った曲で、孤高のカリスマ平手の孤立、という副題をチラつかせた欅お得意の演出。平手が苦しめば苦しむほど最高のシンクロを生む世界観の設定。ただこれも続かなかった。平手は限界だった。そして平手の欅坂も限界を迎えていた。

 

3月には長濱が突然卒業発表、今泉、長濱というポスト平手を失い一強体制は更に進むと思われていた。年末、春シングル以来の表題の制作の延期、紅白での何度目かの平手の失神。臨界点を超え、制御不能となった無法地帯。しかし運営は選抜制を導入する。そして選抜メンバーの発表がなされて数週間、鈴本、織田の卒業、そして

 

平手友梨奈脱退が発表。

 

欅坂は完全に壊れてしまった。

 

 

(4)戦果

 

今、欅坂46というグループは存在しない。正確にいうと櫻坂46と名前を変えて活動している。平手との”離婚”で”苗字”を変えるように。欅坂は多くの人々の心を打つようなグループだった。間違いなく作品の質という意味では乃木坂を超えた。しかしアイドル文化の変容にまで至ることはなかった

 

楽曲の乃木坂を殺した仮想恋愛を壊すには至らなかった。志田、織田はクビに近い卒業を迎えたし、楽曲がいくら優れていようと、アイドルは所詮は職業仮想恋愛相手である、というスキームを壊すことはできなかった。

 

おそらく、平手は2018年の時点で限界に近かった。だからこそ仮想恋愛への傾斜を高めたのだろう。仮想恋愛にNOを突きつけるタイミングは2度あった。握手会襲撃の際、欅坂はアイドルではなくアーティストであり握手券付きシングル発売を再考する、と言えばよかった。2度目は志田の恋愛を報じられた時、ウチは職業仮想恋愛はしないと言えばよかった。しかし出来なかった。それほど仮想恋愛という食い扶持は旨味がありすぎるのか

 

平手友梨奈という数十年に一人の逸材が楽曲の乃木坂が果たせなかった”希望”の先の物語を紡いだことは大きな成果であり、アイドルの価値体系が変わるかもしれないと思わせた事が欅坂の最大の功績だと自分は思う。

 

解散するのがよかったのかもしれない。平手の能力の最大化の器が平手を失って機能するはずなどないのだから。しかしそれは出来ない。欅坂のプロジェクトで飯を食っている人間の生活がある。こういう事情で秋元康系グループは肥大化し続けたのだろう。仮想恋愛が強固なのではなく資本主義こそが元凶なのかもしれない

 

 

(5)クライフバルサ2.0

 

ペップがバルサに帰ってきた。エルドリームの4番、クライフバルサの象徴グアルディオラバルサに就任して最初にしたこと、それは戦力外通告だった。エトー、ロニー、デコのいないチームを作ろうと考えているという衝撃的な言葉、そして規律の徹底とハードワークの要求、目指すのはクライフバルサの理想を具現化することだった。

 

クライフの唱えるトータル思想、GKから攻撃が始まり、CFから守備が始まるという理想をペップが具現化していく。再現性の高いビルドアップ、そして流麗な中盤が織りなす夢のようなパスワーク、そしてアンリ、エトー、メッシという三人による強烈なフィニッシュ、バルサはたった1年で世界を制圧した。

 

クライフ時代のようにWGを張らせていなかったり、最適配置のポゼッションを実施し、ボールを奪われれば苛烈なプレスを仕掛け、一方的にバルサがボールを握り、支配率は70%を超えることも珍しくなかった。クライフ時代を超過し、クライフの理想を現代風に表現してみせた。一部の識者はペップバルサはクライフバルサとは異なる。ここまで苛烈なプレッシングをするバルサは初めて見た。誰も見たことのないバルサだった、と表現していた

 

クライフが成し遂げられなかった支配理論の完全実践、ペップバルサは初年度に7冠を成し遂げ世界中の模範となった。そしてエトーとイブラのトレードによって、更なる強さを手に入れようとしていた。しかし問題児の代わりに問題児を入れたリスクは顕在化し、2年目は思うようなアップデートが出来なかった。

 

そしてペップは歴史に残る最終生産者をチームの中から見出すリオネル・メッシである。彼の最大の武器はコアUTであること。ヘソから前ならどこでもプレー出来て、ドリブルで複数人を抜いてみせ、そして得点力に優れている

 

イブラの9番固定計画はイブラという壁が歴史的スコアラーの覚醒を促す。

 

(6)天才のために

 

ペップバルサ2年目が終わり、バルサはメッシを活かすためのチームになる。メッシにバイタルエリアで如何に前を向いた状態でボールを渡すか、これが全てであった。それはまるで平手の表現力の最大化に一極集中していった欅坂のように

 

メッシのUT性を活かすため、9番に置きながら、10番に降りる時には相手CBが飛び出せないように、CB裏を狙えるタイプが両翼にはセットされた。ビジャはメッシと縦関係を築いて偽翼として左翼で躍動し、右翼では裏抜けが得意なペドロが使われた。

 

中盤ではチャビ、イニエスタブスケツというメッシと親和性の高いカンテラ出身者が用いられ、狭く相手選手の妨害も厳しいバイタルへ正確にボールを供給できる中盤が求められた。

 

460とも言われたシステムはメッシのためのシステムだった。

 

バイタルでメッシに有効な体勢でボールを供給するためのシステムだ。ブスケツかチャビが降りてダウンスリーでビルドアップし、黄金の中盤でボールを掌握、両翼の牽制でメッシも中盤に参加、相手は数的優位、配置的優位、質的優位を常にぶつけ続けられた。そしてアウベスは右翼を大きく迫り上がる。そしてビジャが9番に入り、両翼にはペドロ、アウベス、中盤ではチャビ、イニエスタ、メッシが黄金の三角形で相手を蹂躙し続けた

 

モウマドリーの抵抗にあいコパデルレイは失ったが、リーグとCLの2冠を達成、特に決勝戦は近代最高峰のファーガソン率いるマンチェスターユナイテッドルーニーの1点こそあれ、試合は圧倒的にバルサが支配。もはや絶望的な支配。クライフが描いた夢は可変された343に見てとれた。

 

メッシのためのバルサフットボール界の支配層最終生産者メッシの得点能力の最大化から逆算した支配理論の実践。クライフバルサが目指した夢は確実に成し遂げられた。しかしメッシのためのシステムは歪みを生じ始めていた。

 

(7)戦果

 

ペップバルサ黄金の3年目を終え、ペップは更なる進化を目指す。セスクを入れ、可変343ではなく初期配置から343を具現化しようとした。そしてメッシの能力の最大化として2人目の偽9番セスクとの縦偽9番ダブル、そしてサイドを崩すギミックの導入だ。それはまさしくクライフが言うような”本物のサイドアタッカー”を入れた更なる強さを手中に収めることだった。

 

バルサはメッシへの依存度を低くした多様なチームではなく、更にメッシの能力の最大化路線の強化へと向かった。CWC決勝でネイマール率いるサントス相手に見せた370により、その野望は達成されたかに見えた。

 

しかし370はペップの理想ではない、目指したのはクライフ時代の幅を取るWGを用いたバイタルエリアのこじ開け要員を備え、セスクを囮とし、メッシを活かすプランだった。これは実現しなかった。苦しい時、サイドはぶちぬけず、結果として狭いバイタル目掛けてパスを通し、その狭い領域でメッシは必死の個人プレーでチームを救い続けた。

 

しかし、チェルシーの堅牢の前にCL連覇の夢は散り、モウマドリーとのリーグ戦でも343で敗れ去った。原因はメッシを活かすことに特化し続けたために、外攻めの駒や高さのある9番は捨て去られたことにある。特化が生んだ必然の詰みだった。

 

欅坂は平手に全てを託し限界に達し、平手自身の離脱によって欅坂は終焉した。しかしバルサでは去ったのはメッシではなく、ペップだった。そしてペップはバイエルンでメッシ依存の反省からか、より多様性のある攻め筋を持ったチームの建築に挑戦することになるのである。

 

平手依存が終局まで続いた欅と違い、バルサではペップの最後の仕事をエンリケが受け継ぎメッシを活かすための外攻め、裏攻め要員をネイマールスアレスと用意してMSNユニットで欧州の覇権を握った。

 

平手を活かすための長濱、今泉を切ってしまった欅も同様にして外部から補強すればよかったのだろうが、残念ながら平手を活かしうる人材がいなかった。2期生に仮に、そのような人材がいたらどうなったのか、それを見せてくれたのがエンリケのMSNなのかもしれない。

 

 

③日向坂とペップシティ

 

(1)遅れてきたヒロイン

 

篠田麻里子(AKB)、秋元真夏(乃木坂)、秋元康系列グループにはイレギュラーな一期生というものが存在する。二期よりも早く一期よりも遅く入ったメンバー。その系譜に連なるのが長濱ねる。最終審査を放棄したものの、その才覚から運営が熱心に保護者を説得し加入させた。腫れ物扱いを避けるため”ひらがなけやき”という別グループを発足させる事が発表された。

 

乃木坂二期冷遇は堀の抜擢という運営のスタンドプレー、そして何より一つのグループの最適運用人数から漏れ出てしまう限界があった。AKBは一期生、二期生、三期生をそれぞれA,K,Bという各グループに分配し、グループの『物語化』を実現した

 

Aには前田、髙橋、板野、小嶋がおりKには大島、宮澤、河西がいてBには渡辺がいた。AKB総選挙とは前田VS大島で盛り上がったが、これは運営が作り上げたプロパーな一期生VSヲタの反逆の民意を背負う二期生の構図であり、その激突の後に王位継承として三期生渡辺麻友への継承ではなく、指原莉乃が選挙で勝ってしまい、その頃から緩やかに時代は坂道へと傾いた。

 

AKBとは文字通りA(一期生)とK(二期生)とB(三期生)の物語である。それがAでもKでもBでもない人間が天下を獲った状態でサイクルを終えたのは必然だったのだろう。

 

しかし逆に言えば、一期二期三期をチーム別に配置し”三世代”分の経路を設定した。これこそが48が46に対して圧倒的な黄金期を作り上げた理由でもある。坂道がAKBの黄金時代に比べてピーク値が低いのは連動性がないからだ。二期生が抜け落ちた乃木坂、一期生どころか平手依存体制の欅坂は世代の連動する物語が完全に消失している。ドラマであっても大河ドラマになり得ない弱みがある

 

この連動性を欅坂は有する可能性があった。漢字の平手、ひらがなの長濱という構図だ。おそらく、このスキームは想定されていた。ポスト平手として、ポスト欅坂のシャドーキャビネットとして長濱を中心としたグループを形成する計画が立ち上がった。欅坂版チームK形成計画とも言える。

 

 

(2)空転する反逆構造

 

結果を言うと、これは失敗した。ご存じの通り欅坂は平手一強へと向かい破滅的終焉を迎えた。ではなぜ失敗したのか。ひらがなは欅坂のチームK、つまり運営が作り上げたチームAに対する反逆がテーマであり観衆の運営への怒り”俺たちが作るチーム”という精神性を体育会系のノリという思想はひらがなには根付くことはなかった

 

理由は簡単だ。そもそも平手中心の欅坂にヲタの不満がないのだ。むしろ最終審査を受けていない”裏口入学”の長濱を活かすグループに対する違和感の方が強かったはずだ。更に独立したチームとして動かすはずが表題曲がない。欅坂の表題に収録されてしまっていて対立構造もなければ独自の世界観も浮かばない。更に言えば長濱のキャラ的にチームKの反逆し戦う少女の世界観は背負えない。というより反逆の世界観は欅坂が具現化しておりテーマが”空いて”いないのだ。

 

そこに来て、長濱がひらがなのセンターのみでやるなら良いのだが欅坂のメンバーとしても活動してしまっているので立ち位置がよく分からず、どうしたいのかよく分からない。長濱のためのグループが空転し欅坂のバーター扱いでメディア出演も少なくなくファンも付きづらい。ヲタからするとVS欅坂なのか、欅の別働隊なのかスタンスが曖昧で存在意義が曖昧なものとなってしまった。

 

そしてひらがな二期生が募集され2016年に発足したひらがなは 2017年秋に長濱の兼任解除とひらがなからの事実上の切り離しが発表され宙に浮いた。長濱がセンターである前提での組織のため、主軸クラスを獲得出来ておらずゼロトップの陣容となってしまった

 

主軸なし、独自世界観なし、表題なし、乃木坂二期以上の惨状であった。

 

(3)自演による自我獲得

 

乃木坂は握手選抜と化し、その副産物として乃木坂アンダーメンバーは優れた組織となりアンダー推しが現れ、楽曲の質、表現力は選抜を凌駕するとも言われた。しかし日の目を浴びることは少なかった。それは勿論世間体もある。

 

乃木坂運営にとって乃木坂のシングル選抜はパフォーマンス能力ではなく握手会売上成績で選ばれている、という音楽的素養への軽視が共通認識となってしまうのは体裁上まずい。アンダーに塩漬けされる才能への憐れみもあり、アンダーは乃木坂なのか?そんな議題も提出されるほど深刻な様相を呈しながらも、運営にとっても勿論忸怩たる思いはあったはずだ。その願いを欅坂の”アンダー”が成就させる。

 

佐々木久美をキャプテンにし、ひらがな単独の冠番組を作り、ひらがな単独のアルバムもリリースされ、そして『イマ二ミテイロ』といった不遇の状況を世界観に落とし込んだマッチポンプによってヲタ人気を獲得し始める。皮肉にも長濱ねるを切り離したことでチームK化することになったのだ。

 

運営の不作為が生んだ自演の反逆性の発芽、これによりひらがなは明らかに潮目が変わった。そして2018年『ひらがな推し』でのMCオードリーとのアイドルを超越した芸人的挙動、これにより親しみやすさと不遇さゆえの応援したくなるスタンスの設定。条件は整った。そしてついに独自性を獲得する事になった。

 

しかし欅坂の写鏡ゆえに絶対的エース不在、これが乃木坂、欅坂が迎えた全盛期を享受出来ない可能性がある。いずれ、このゼロトップ体制を巡る議論は再燃するだろう。

 

この構造に近しいのが現在6年目を迎えたペップシティである。

 

(4)ペップという才能

 

集団競技において、よく聞く言説として『1+1=2にも3にもなりうる』といったものがある。しかし自分の持論として、集団は最も優れた構成員を上回るパフォーマンスを出すことは出来ないと考えている。1+1=1以下である。

 

それはサッカーでも変わらない。集団のエース、ここではスコアラーだが、その”器”を超える最大値は得られないのである。

 

ペップバルサが歴史的チームになったのはメッシが歴史的選手であったからであり、ペップバイエルンが3年連続支配的なチームでありながら、メッシのMSNやロナウドBBCにCLを獲られてしまったのは、レバとメッシ(ロナウド)の差にあると考えている。

 

サッカーとはネットを揺らした数で競う競技だ。だからこそいかに相手ネットを揺らす構造を作れるか、自分達のネットを揺らさせない構造を作るかが問われる。前者が最終生産過程であり、後者が支配構造である。

 

ペップは世界最高の指揮官と言われる、では、彼のどんな能力が最高峰なのか。シティにペップがやってきた時、CLを獲れると心を躍らせたシティズンは少なくなかった。ペップはバルサバイエルン在籍時の7年間で全てベスト4以上、2度の優勝とCLでは圧倒的な戦績を誇っていたので、致し方ないのだろう。

 

しかしペップを定点観測している人間からすると、彼の才能は最終生産者の選定と選ばれた生産者を最大限活かす構造の構築にあると考えている。ゆえに、スコアラー以上の組織を作ることができるかは未知数であり、メッシやレバといった支配層クラスのスコアラーなしにはCLは厳しい戦いになるのだ。

 

そして、この才覚と同種のものを持っているのが秋元康のように思えてならない。彼も、またセンターを担わせる人間の選定が抜群にうまい前田敦子をAKBのセンターに据えて、見事に国民的グループになり、欅坂での平手のセンター抜擢など、主役を決め、その主役を最大限活かす構造の構築によって日本アイドル界に残る仕事を行ってきた

 

ペップは最終生産者を見つけ、その生産パターンから逆算してチームを設計するように秋元康もセンターを見つけ、その適性から逆算してグループを設計してきた

 

ではスコアラーなしのペップはどうなるか?

 

その答えは日向坂に見てとれると思うのだ。

 

日向坂は秋元康の匂いが一番しないグループと言われる。それは彼の最大の特徴がそこにないからだ、それはペップと同種の才能である、センターから逆算した構造、それもそのはずで日向坂は絶対的エースがいないのである。だからこそ彼特有のメソッドの運用が不完全であるが故に秋元康感がないのである

 

(5)背反する生産構造

 

シティにおいて得点能力に優れたプレイヤーはアグエロであった。メッシをバイタルで輝かせたように、レバミュラをボックスで輝かせたように、アグエロを輝かせるためにどうすればいいか、その答えはロークロスにあった。

 

ハーフスペースにいるシルバとデブライネにパスを入れ、相手が中央をマークし始めるとサイドに展開し、同足で突破力に優れたサネとスターリングに渡す、そこからペップバイエルンの如く、サイドを破り折り返し、ロークロスを放り込む、目指すはアグエロだ。そしてワンタッチでゴールを狙う、といった具合だ。

 

しかし相手も馬鹿ではない、ペップ対策の5レーン埋めの5バック運用が増える。そして、そこでペップシティはレーンを交換するために、前線5枚は自由自在のレーン移動の動き”横断”を始める。するとUT性のないサネは浮いてしまい、チームは多彩な攻め手というバイエルン時代に果たせなかった多様性を獲得し始めた

 

ペップシティは紆余曲折こそあれ、リーグは支配した。国内では圧倒的な支配力を発揮し見事にイングランドでもポジショナルプレーで圧倒した。しかし問題はCLである。これまでのバルサバイエルン時代はベスト4を一度も逃したことがなかったのにも関わらずシティでは5年で一度しかベスト4へは行けなかった。

 

理由は単純で、スコアラーとしたアグエロがCLベスト8以降では活躍出来なかったからである。ペップシティは5年でCLベスト8以降の試合を10試合経験している。アグエロの戦績を簡易に以下に付すと

 

17/18 8強 1stleg ベンチ外 2ndleg  24分出場

18/19 8強 1stleg 19分出場 2ndleg 90分1ゴール

19/20   8強 ベンチ外

20/21   8強 1stleg 出場なし 2ndleg ベンチ外

20/21   4強 1stleg 出場なし 2ndleg 5分出場

20/21   決勝  13分出場

 

唯一コミットメント出来た18/19ではPKを外し、その一点があればベスト4へ行けたので、厳しい評価となってしまう。確かにアグエロがいなければリーグは獲れなかったろうし彼がシティの栄光の歴史の功労者であることに否定的な見解は述べない。ただ、メッシ、レバと比べると物足りなさと耐久力の低さは看過できないものがあることは事実である。

 

ペップシティはアグエロが常時出場できなくなった19/20くらいからゼロトップでのプレーを要求されてしまった。しかしシルバの退団による各位の自律性の集積としての集団プレーであったり、多様性は増していった。しかし、それと引き換えに絶対的な攻め筋、必殺技を欠いた状態で戦わざるを得なくなってしまった。多様性が増せば平均値は上がりリーグでは優位性を確保できる、しかし、多様性が増せば最大値は必殺技の欠如から下がってしまう背反構造を抱えるようになってしまった。

 

(6)ゼロトップの是非

 

アグエロに点を獲らせる設計のチームが、最終的にアグエロの不在が常態化しゼロトップスタイルがベーシックになってしまったため、特定の得点者はいないが、みんなが得点者になる共産主義的なチームになった。

 

ここに、長濱ねるを活かすチームにするはずが、最終的にねるという明確なセンターが抜け落ちてしまい、事実上のエース不在の状況での運営を強いられている日向坂を重ねて見てしまうのである。

 

ゼロトップでリーグは獲れる。しかしCLでは厳しい。というより平均的に出力できる数値は低くはないのだ。しかし最大値ということに関して言うと足りなくなる。これはサッカーにおいては格上同格との対決における決定力に表れ、アイドルで言うと全盛期のピーク値に相当すると考えられる。

 

日向坂は10年代中盤の乃木坂、10年代後半の欅坂が到達したピークに、どこまで近づけるかそれは絶対的エースの存在が欠かせないという議論が起こるはずだ。白石、西野、平手に並ぶメンバーを作る必要があるとの議論が。そしてシティも同様だ。今のゼロトップ体制でもCLを優勝できる可能性は低くはない、しかし確度の問題を考えると、明確なスコアラーを置く必要性が議論されるだろうし、実際ケイン獲得に向かっている。

 

日向もシティも共産的で誰もがエースになれて誰もが主役になれる、しかし絶対的エースはおらず、最大値が要求される場面においては厳しさを露呈してしまう。果たして、この2つの集団は栄光を勝ち取るのか、気になるところである。

 

歴史を見ると、CL王者には明確な絶対的スコアラーがいて、覇権アイドルには絶対的なセンターがいた。この例外が昨季前者においてチェルシーが出現した。これは確度の問題だ。スコアラー・センターがいなくても天下を獲る可能性はある。今季、ペップシティはゼロストライカーでリーグ首位を走り、CLでもノックアウトラウンドに進んでいる。歴史的に見れば優勝候補とは言い難いが、”例外”になれる可能性は否定できない。

 

ペップシティと日向坂46は”例外”となれるのか。

 

これからも2つのシンクロする世界の観測者として見つめ続けたいと思う。

 

 

 

④終わりに

 

僕が好きなもの、これまでハマったもの、それはエヴァ、ペップ、アイドル、これは一見して異なる分野に見える。しかし、自分は明確にこれらの中に存在する共通項を見出している。

 

それは、彼らが選び取らなかったはずの選択肢の先の未来を別空間に作り出し、その軌跡の建築として過去アーカイブから要素を取り出し再構築するという手法を用いていることである。

 

エヴァ庵野秀明が影響を受けた市川崑岡本喜八実相寺昭雄に代表される要素を組み込み旧劇エヴァを作り上げた、そして、サードインパクトで破滅的終局を迎え、仮に、このような苛烈なまでの不条理に遭遇せずサードの先でゲンドウと対峙していたかもしれない選択肢がβ世界線として新劇が劇場4部作として公開された。

 

ペップに関しても

 

バルサ4年目において、守備意識が減退しクライフの理想が具現化出来なくなった時、メッシを放出して全員攻撃全員守備を徹底していたかもしれないペップバルサ5年目をバイエルンで築いているように見え

 

バイエルン3年間でクロス爆撃に特化せず、初年度の多様な攻撃スタイルを装備したチームをシティで築いているように見える。

 

秋元康に関しても

 

AKBのように肥大化路線や各グループをシャッフルし続けて独自性を奪ってしまわなかったらどうなったのか、を乃木坂で具現化し

 

乃木坂のように、途中で仮想恋愛への傾斜を強めてしまい、パフォーマンス力といった職業音楽としての完成度を犠牲にしなかった未来を欅坂で具現化した。

 

彼ら3人は、上記のようにして同様の枠組みが見てとれる。自分は、この枠組みに興味があって定点観測しているのだろうと自己分析するところである。

 

あくまでも枠組みとして、映像作品、音楽作品、職業蹴球を見ているため、マジョリティとは異なるアングルゆえの異なった感想を抱く。各キャラクター・メンバー・選手への個人的思い入れは希薄だ。

 

またドルヲタであっても自分は職業仮想恋愛という食い扶持を否定はしないものの、職業音楽の完成度を阻害する因子として積極的な立場は取らない、だからこそメンバーの恋愛には寛容だし、むしろ恋愛禁止なんて人権弾圧なんじゃないかくらいに思っているのでドルヲタと話すと低くない確率で事故になってしまう。

 

ミッキーマウスの着ぐるみを剥いで、『ここに人間がいるぞ、俺たちは騙されてるんだ!』と騒いでいるのが恋愛暴露系文春砲に思え、あぁ、そんなん知ってるよ、だから何?と虚構として恋愛禁止を受容する方が応援する側される側双方にとって良いと思うのである。

 

ただ、このユニークでマイノリティな見方だからこそ、珍しさを楽しんでもらえる人も少なくないのも事実で、シティを語る上でのスコアラーの質への疑義やアイドルを語る上での職業仮想恋愛を否定しての展開、といったものはあまり語られないように感じる。

 

 

以上、異能の建築者を巡るメタゲームにお付き合いいただき感謝申し上げます。