牽牛星のよろず日記

自分の興味あることを思うがまま記述したいと思います。

シン・マトリックス(『マトリックス・レザレクションズ』評論)

 

 

第1章 回顧

 

マトリックス、言わずと知れた名作であり、カンフー、ワイヤーアクション、バレットタイムを駆使した映像革命、世紀末に作られた第1作は今も色あせず輝き続けている。キリスト教的神話ベースの作劇、中二心をくすぐる演出、前述の圧倒的な映像、多くの人々に影響を与えたクラシックの10数年を経て作られた続編となる今作『マトリックス・レザレクションズ』について語る前に、マトリックス3部作を振り返る。

 

各作をM1,M2,M3,M4と略記す。

 

(1)M1の筋

 

プログラマーとして名もなき永劫回帰の中で、どこか違和感を感じながら暮らしていた主人公トーマス・アンダーソン。そんな日常の傍ら、裏社会では彼は"ネオ"と呼ばれる最強ハッカーとして暗躍していた。

 

ある日、ターミナル画面に『起きろネオ、マトリックスが見ている、白ウサギを追え』というメッセージが表示される。その刹那、取引相手がやってきて、気晴らしにパーティに行こうと誘われ断ろうとするも、その相手のツレの女の腕に白ウサギのタトゥーを見つけ、興味本位で付いていくと、国税局のコンピュータに侵入した大物ハッカーのトリニティに声をかけられ、『彼らがあなたを狙っている』と告げ、目を覚ますとベッドの上で目覚まし時計が鳴っていた。

 

会社へ向かうと届け物が。そこには電話があり、取り出すとモーフィアスと名乗る人物から発信を受ける、会社では自身を追ってくるサングラスをかけたスーツ姿の男たちから追われ捕まりヘソの穴に小さな器具を挿入されるという尋問を受ける。そして目を覚ますとまたベッドの上にいて、電話を受け、モーフィアスに呼び出される。トリニティによって器具は排除され、そして『選択』を迫られる

 

そして、青の薬を飲めば無事に帰す、赤の薬を飲めば真実を教えると言われ、ネオは後者を選び『本当の肉体』を取り戻す

 

人工知能を持つ機械が反乱を起こし人類に現実と区別のつかない幻想を見せ洗脳し、人間を動力源とするサイクルシステムを作り上げ人類を『栽培』している、マトリックスによって人類は支配されるようになった。そして人から生まれた人、機会が作り体の節々にプラグ穴を持ち『解放』された人類の連合軍と機械軍の戦争を終わらせる『救世主』こそがネオである、という予言を告げられる。

 

しかし、ネオは『ネオ』ではない事が徐々に明らかになり救世主ではないと預言者に告げられた帰りに襲われ自身を庇う為にエージェントに囚われてしまったモーフィアスを助けるために、命からがら逃げだしたネオは再びマトリックスに入り最強の敵であるエージェントスミスとの決戦に向かう。

 

スミスの前にあえなく敗北し、心停止するも、ネオは覚醒しスミスの攻撃を余裕でかわせるようになりスミスを圧倒し撃破する。ネオは救世主としてマトリックスで人類解放のための英雄への道を歩み出したのであった。

 

 

(2)M1の考察

 

マトリックスの監督はウジャウスキー兄弟と当時は呼ばれていて、現在ではウジャウスキー姉妹となっている。元も子もない事を言えばマトリックスとはこの事をテーマにしている。いわばジェンダーマイノリティの苦悩の物語なのである。

 

自身の心の性と肉体の性の不一致への違和感を感じている中でホルモン治療のために薬(カプセル)を飲み、本当の肉体(女性の肉体)を取り戻す、というシークエンスが採用されている。

 

しかし、この局所的なテーマをキリスト教神話的な『救世主』『終末』『信仰』といったユニバーサルなテーマで"味付け"し、先進的な映像技術もあいまって、多くの人に影響を与えた

 

アンダーソンがネオ=救世主となる事が『予定』される、とは救世主に自動的になるわけではなく、救世主であるのかという疑念と向き合う『信仰』の日々の積み重ねが救世主へと努力する日々を生み出し、そのプロセスそのものが救世主へと変容させるのだとの主張なのだろう。

 

キリストのように、一度死んでから『復活』したメシアであるネオは豊かな暮らしを求めるために機械を発展させ様々なものを犠牲にし続けた人々の原罪を贖うための冒険へと向かう、というのもユニバーサルに多くの人々に受容されたはずだ。

 

そして支配と虚構の等価性にも言及している。機械は人間を駆逐するのではなくプログラムで作った幻想を見せ続ける事で永遠の牢獄に幽閉し、彼らの生命維持活動により生じる資源を利用して世界をサスティナブルなものに変えてしまう。

 

美しい虚構に身を置くか

残酷な現実で戦うか

という2択は

 

ヘテロという仮面を被って生きるか

カミングアウトして差別社会で戦うか

 

にリンクしているのだろう。

 

 

(2)M2の筋

 

トリニティが死ぬ悪夢を見るネオ、25万もの侵略ロボットがザイオンに向かっている事が告げられる船長会議の最中、船員のいる部屋にスミスがやってきて、ネオは単独でスミスの相手を引き受ける。M1で倒したはずのスミスは増殖する能力を得ていた

 

そしてネブガドネザル号はザイオンに帰還、しばしの平穏に浸る一行。そして預言者ボディガードのセラフに力を認めさせ、預言者と歓談、そしてキーメーカーを連れてマトリックスのソースへと向かえと言われる。その後、大量に増殖したスミスとの激闘の幕が上がる。一向にケリがつかないため、空中飛行でネオは戦場を後にした。

 

キーメーカーを隠しているメロビンジャンに会いに行く一向。キーメーカーの引き渡しを拒否されるも、メロビンジャンの妻であるパーセフォニーの手引きでキーメーカーをピックアップした一向を激怒したメロビンジャンの手下が追跡し、高速道路で激闘を繰り広げる。

 

追手を撃退し、ソースへ向かう為にセキュリティシステムの破壊をナイオビがなすも、予備システムを潰す為、トリニティがマトリックスに入る、そこにはスミスが待ち構えていた。

 

トリニティの尽力とキーメーカーの形見の鍵を持って扉を開けると、そこにはマトリックスの創造主であるアーキテクトがいた。そこでネオは6番目の救世主でありアノマリーであること、アノマリーを何度も取り込み、より高精度のマトリックスを構成するアップデートのループが存在している事を告げられる。

 

救世主もこのループの一端であり、ザイオンとは幻想に対し覚醒したバグの集積として作られた集落であり、エクスマキナというサイクル支配者が望む安定的なサイクルの形成のために、より良い幻想を生むためののプログラムが預言者であり、ザイオンと救世主を何度も生み出しては破壊する円環によって構成されるのがマトリックスである、という事実を告げられる。

 

そして左右のドアを見せられ、片方はトリニティを救う世界、もう片方はマトリックスのアップデートのため全人類を犠牲にする世界、に通ずると言われる。

 

ネオはトリニティを救う世界を選び、瀕死のトリニティを蘇生しマトリックスを無事に抜ける。しかし追手をまくためのスーパーパワーの連発で疲弊し意識を失う。その隣にはスミスと同化してからマトリックスを抜ける形で現実世界に『進出』したベインの姿もあった。。

 

 

(3)M2の考察

 

極めて難解な世界観の提示と先進的なアクションシーンの連続、マトリックストリロジーの最高傑作にしてレボリューションを伏線回収に束縛させてしまった。

 

描かれているのは円環の理とセカイ系である。

 

救世主とザイオンは何度も生まれては何度も消失し、その無限連鎖によりバグを減らし、よりよい幻想世界を生み出すという虚構製作プログラムこそがマトリックスでありネオは人類を救うことなど出来ない事が明かされる。

 

そしてセカイ系の永遠の命題、『セカイか世界のどちらを選ぶか』が与えられる。綾波を選び世界が破滅寸前に追いやられたエヴァの如く、ユニバーサルな世界と大切なキミというセカイのどちらを選ぶかという命題に対しネオはセカイを選んだ。そして、その選択が与えるエフェクトが次作で大きな成果をもたらすことになる。

 

それは機械が提示する理想的な仮想現実という虚構ではなく、愛という原始的な性欲のメタファーとしての虚構こそが解決策になりうるという預言者の計画であったことをネオは知らない。

 

それはネオとスミスは絶対値が等しい正負互換版の存在であるがゆえの決着の困難さから来る帰結であり、様々な能力をスミスが備え初めた時点で、正攻法を上回る帰結は避けられなかったのかもしれない。

 

 

(4)M3の筋

 

駅のホームで寝そべった姿で目を覚ますネオ、預言者と最後の面会を果たすモーフィアスとトリニティ、閉じ込められたネオを救うためメロビンジャンに会いに行き、トリニティの決死の奮闘によりネオは幽閉されたホームから脱出する。

 

預言者とオラフはスミスに急襲され同化させられる。そのころネオは自身の真の肉体があった始まりの場所マシーンシティこそが最後の決戦の地と直観を得て厳しい旅へ向かう、またザイオンには機械軍の接近が迫り最終戦争へ向け準備が進んでいた。

 

マシーンシティへと向かうネオとトリニティ

ザイオンへの帰還を目指すモーフィアス一向

機械軍の襲来に備えるザイオンの残留人類軍

 

の3者の最後の戦いが始まる。

 

マシーンシティへ向かうネオトリの乗る船内ではベインの反逆にあいネオは目を焼き切られ視界を奪われるも驚異の能力で撃退、モーフィアス一向は機械軍の猛攻を交わし戦闘の始まったザイオンへ帰還を目指す、ザイオンでは機械軍の猛攻撃に徹底抗戦する残留人類軍は第1次攻撃を耐え抜き、犠牲を払いながらゲートを破壊しモーフィアスとナイオビの操縦するハンマー号を引き入れる、そしてEMP爆撃によって第1次攻撃隊を殲滅するも、その代償として最終防衛ラインの防衛力を喪失する。

 

マシーンシティに特攻し機械軍の攻撃を振り払いながら最深部に到達する。しかしトリニティは特攻の中で体を機材が打ち抜く、M2で本来は死ぬはずだった未来を変更してくれた事への感謝を告げ、ネオに最後のお別れの後に絶命する。そしてザイオン救済を託されたネオは最終決戦へと向かう。

 

ネオはエクスマキナとの交渉でスミスを唯一阻止できる自分が倒す代わりに平和をもたらす事を約束させる。そしてマトリックスにてスミスと激闘の末にネオは敗北し同化されるも、その刹那、スミスは発光し始め、全てのスミスが崩壊、ザイオンに迫る機械軍は去っていった。遂に人類と機械軍の戦争が終わり、歓喜に包まれるザイオン、ネオとスミスの決戦の跡地には預言者が横たわっていた。

 

太陽が暗闇を照らす中で預言者とアーキテクトが会話する。

 

『危ないゲームをしたな』

『この平和はどこまで続くと思っているのか』

 

預言者によるスミス殺しを示唆し、マトリックスからの人類の解放を宣言しアーキテクトは去っていく。

 

全てを知っていたのか?とオラクルに問われ

 

『信じていた、信じていた』と繰り返し

 

日光が強く照らす中で三部作は終幕する。

 

 

(5)M3の考察

 

モーフィアスの示した2択に対し真実を知る事を選択した第1作、アーキテクトの示した2択に対しトリニティへの愛を選択した第2作、そして第3作では機械か人間か、という2択に対しネオの選んだ道は自身を犠牲にして機械からの侵略を防ぎ人類の原罪を贖い、自身の命をもって戦争を終結することだった。

 

預言者を取り込んだスミスがネオに勝利した末に崩壊に至ったのは様々な予想合戦になったろうし、正確な解答は分からない。ただ最後のセリフから読み取れるのは預言者の何かしらの試みが打ち砕いたと考えられる。

 

個人的にマトリックスというのはターミネーターへの補完作品だと感じている。

 

ロボットやAIの発達により機械軍は人間を駆逐/支配するというディストピア作品は数多く、その代表格がターミネーターであろう。機械軍によって人類は破滅寸前に追いやられ、その残存人類のリーダーであるジョン・コナーの殺害を目指す機械軍と、彼を守る機械であるシュワちゃんの戦いが描かれる。

 

ターミネーターは『審判の日』を巡る戦闘は散々描かれるが、結局人類代表のジョンはいかにしてロボット軍に勝利したのか、という部分は丁寧に描かれない、その機械軍の支配へのカウンターを丁寧に描いたのがマトリックスと言える

 

例え機械が支配構造によって人類を支配者から引きずりおろしても、支配=虚構を生み出す能力において人類は最高峰であり、もう一度支配者に返り咲く事が出来るはずと説いているように思える。

 

人類は機械に支配される未来が来るかもしれない、しかし魅力的な虚構を用いた支配構造の前に人類は敗走するとしても、愛という人類古来の虚構が人類を救う『救世主』となり、信じる事こそが闇を照らす光となる、と言っているのかもしれない

 

 

第2章 M4の筋

 

(1)彼らのその後

 

マトリックス』という歴史的に有名なゲームを作り出した業界屈指のゲーム作家であるトーマス・アンダーソンは時に幻覚に襲われたり精神に疾患をきたしていて、精神科医で服用される青いカプセルを飲みながら違和感を抱えて毎日を生きていた。

 

ある日、社長(スミス)から呼び出され、親会社のワーナーブラザーズからの勅令で名作マトリックスの続編を作って欲しいと言われる。制作会議では、マトリックスシリーズの偉大さを語りながら次作をどう作るかで熱中するなかトーマスは気乗りしない。そんな中、カフェに魅力的な女性(トリニティ)を見つけ、同僚にそそのかされる形で声をかける。その女性はティファニーと名乗り、家族との忙しない日常に追われていた。

 

ゲーム会社に脅迫文が送られ避難命令が課された自社、メールで謎の人物にトイレに呼び出され、そこには自分が作り上げたキャラクターのモーフィアスが立っていて、赤い薬を飲み真実を知れ、という自身の作り上げたシークエンスが現実化した事に戸惑いを隠せない中、モーフィアスを探して突撃してきた警察との銃撃戦に巻き込まれ、社長スミスまでもが自身に牙をむき攻撃し始め、『これは現実じゃない、幻覚だ』と強く念じると、かかりつけの精神科医とのセラピーの場にトーマスはいた。

 

幻覚に苛まれる中、ビルの屋上から身投げしようとする刹那に謎の女性バックスに『現実をあなたは教えてくれた、真実を知ろう』と言われ、扉の向こうに連れていかれると、そこにはモーフィアスがいた。

 

 

(2)赤か青か

 

そして、トーマスは、これまで精神科医が服用していた青いピルではなくモーフィアスが差し出した赤いピルを飲み、真実を思い出す。自身がネオであったこと、救世主として人類を機械の駆逐から救った事、そして本当の肉体を取り戻した際に横のポットに愛するトリニティがいた事を

 

そして、死んだネオとトリニティを蘇生し、2人を動力源として新たなサイクルを作り上げたのが、あの精神科医であり、アナリストと呼ばれる彼こそが新たなる黒幕である事を告げられる。

 

自身の貢献が無駄だったのか、機会からの侵略を自分は救えたわけではなかったのかと苛まれるネオは新たなる人類の村アイオへ向かい、そこで年老いたナイオビに出会う。60年の時を経て蘇った伝説の救世主ネオは驚くべき光景を目にする。

 

そこでは機械と人間が協調し、命を育み、植物を育てていた。そして新たな脅威アナリストによって囚われたトリニティを取り戻すために60年の時を超えた戦いに挑む

 

 

(3)第2の救世主

 

ティファニーに話しかけようとするネオ、しかしアナリストが現れ『バレットタイム』を仕掛けられる。自身はゆっくりとしか動けないのに、アナリストは普通に動ける。絶望の中、ネオは救世主としての自身の能力の減退を感じる。

 

トリニティを取り戻す為、現実世界でティファニーとして生きるトリニティに『真実』を告げるべく向かうネオ、そしてポッドからトリニティの肉体を剥奪する計画を立てるバックス率いる船団と同時進行のトリニティ奪還作戦が始動する。

 

そしてネオはアナリストと仲間が占拠するカフェへ向かい、トリニティの洗脳を解こうとし、仮に解けなければ自分は戻り、トリニティが抜ける事を選べば自分達を解放する事をアナリストに要求する。

 

初めはトリニティは逡巡するも最終的にネオを選ぶ、そして二人が触れるとスパークで周囲を吹き飛ばし、スミスも加勢し、なんとネオ側につく(一時的にだが)。そしてトリニティとネオは追跡してくるアナリストの軍勢をまきながらビルの屋上へ上がる。

 

空中飛行能力の欠如したネオだが、トリニティと共に屋上から飛び降りる。落下すると思われた二人だが、トリニティが能力を覚醒し空中を飛行し、上空へと舞い上がり消えていく。

 

そしてマトリックスを抜けた二人は60年の時を経ての復活を喜び合う。

 

アナリストに会いに行く2人、アナリストの侮蔑に対しトリニティが数回暴行を加えて最後に復活のキッカケをくれたことへの感謝を告げ物語は閉じる。

 

 

 

第3章 M4の考察

 

(1)メタ構造

 

本作はマトリックストリロジーを製作したスタッフの心情が作品に落とし込まれている。作りたくもない続編をワーナーから要求される苦悩や数十年経過しているので朧気にしか思い出せない各シーン。そしてバレットタイムが過去の物となってしまっている現状と、周囲が高速で動いていく中で自分達はマトリックスという過去から動けずにいる事実。

 

そして物語はマトリックスの原義である、『性的マイノリティの解放』へと帰着する監督は性転換して『次の世界』へ向かいたいのに、世界は未だに少数者への無意識の迫害を辞めない世界への違和感を抱きながら生きる苦悩が投影される。

 

M4はトリロジー以上に監督ラナの極めて私的なものが投影されている。アナリストは最後にトリニティに何度も痛罵を放つ。

 

『おい、女をコントロールしろよ』

『空をレインボーカラーにでもすれば?』

 

アナリストは女性嫌悪の言葉を放ち、何度も罵倒する。そしてトリニティはアナリストに何度も暴行を加える。

 

(2)トリニティの物語

 

マトリックスの主人公はネオだった。しかし本作は違う。トリニティの物語なのだ。ティファニーという名前を与えられ、性的抑圧を強いられる世界に向けて中指を立てる物語がM4である。

 

主婦として家の様々な事象に追われ、女性はこうあらねばならない、といったステレオタイプへの抵抗の象徴が描かれる。

 

LGBT運動の象徴であるレインボーはまさしくラナの言うようにマトリックスは性的マイノリティを主題とした映画である、という原義に戻すためのプロジェクトこそがM4なのだという主張を強化するものだ。

 

マトリックスは多くの人に影響を与えた。それは性的マイノリティの救済、本当の自分を取り戻し、人々を抑圧から解放する救世主の物語としてではなく、アクション映画として、そしてそれは逆の立場であるクラシカルな性差を固定する論者の理論武装の事例としても使われるようになってしまった

 

多様性という生きづらさ、それを新たな抑圧とメタり、そして、その抑圧の事例としてマトリックスが捉えられ、陰謀論を唱える論者の『真実を知る』という行為のメタとして赤いピルが用いられてしまっている

 

解放を唱えたマトリックスの本当の原義を取り戻す戦い、それがワーナーから理不尽に要求され続けたマトリックスの新作のテーマと皮肉にもなった。だからこそトリニティは最後に、こう語る。

 

『ありがとう、もう一度生きるチャンスを与えてくれて』

 

 

(3)作品は誰のものか

 

マトリックス4は4なのか、4と言って良いのか。おそらく賛否両論の本作、確かに言いたい事は分かるのだが、それをマトリックスでやる必要があるのか。

 

これは弊ブログにも書いたシンエヴァと非常に似た構造に見える。

lilin18thangel.hatenablog.com

 

エヴァもそうだった。本来はアニヲタの虚構への執着を砕きセカイ系において現実の世界で強く生きて欲しいというメッセージを発するはずが、かえってエヴァがアニメという虚構への執着を生み育て、エヴァフォローとしてのセカイ系作品群を生み出す皮肉を招いた

 

だからこそ、庵野は新劇場版で執着を殺す物語を書き始めた。しかし3作目で作劇に失敗し、自身の現実の物語である、モヨコ夫人による救済を真希波マリに描きエヴァへの執着を殺す物語としてシンエヴァを書き上げた。

 

M4も、これと酷似する。マトリックスの原義が歪められた事を受けて、原義の再提示としてM4を仕上げた。エヴァ庵野私小説であるように、マトリックスはラナの私小説と化した

 

ラナに言わせれば、これがマトリックスなんだ、という事だろう。しかしながらシンエヴァが実写とアニメの中間世界観の具現化といった新たな挑戦をしたり、ルーティン化しつつあるアニメ制作における新たな試みに加え細田/新海の描く過剰に美化された『キラキラ映画』への警鐘といったカウンターを放ったのに比べると今回のM4はそのような志を感じない。

 

ワーナーからの続編制作要求に丁度良いコンテクストが見つかったというだけだ。シンエヴァは視聴者が待っていた。エヴァ世界(β世界線)の完結を皆が望んでいたし終わらない円環にケリをつけて欲しいと切望されていた。

 

M4はどうだろう。望まれていたか、それはラナ自身が自覚している。終始トーマスは続編に気乗りしていない。そしてスタッフがマトリックスの素晴らしさはどこにあったのか、という再定義を行う中で続編を作るに値する理由などない事が暗に提示される。

 

映画は監督のものとよく言われる。駄作なら監督の責任となり、傑作なら監督の手柄として自分も含めた有象無象に評価され、多くの人々にとって固有名詞から一般名詞として使われるようになっていく。

 

本作を蛇足とは思わない。示された主張は理解出来るものだし、作った価値は十分にある。ただ少なくない人々にとって『コレジャナイ』感は拭えないだろう。作品を監督が無理やり引き戻した感もある。

 

映画は一体誰のものなのだろう?

 

 

 

第4章 最後に

 

こう言ってはなんだが、まぁこうなるだろうなぁという予感はあった。道は限られていて、ネオとスミスの後継者による新たな虚構を巡る物語というSWシークエル路線か、本作のような私的でローカルな路線しかないと思っていたから。

 

前者の路線だとSWが提示したように再生産の域を出ないし後者だと今作のように賛否両論となる。考察でも述べたが、結局のところ、作るいいキッカケが出来た、というコンテクスト以上のものはなかった

 

むしろ、攻殻を始めとた日本アニメや漫画に影響を受けているのだから、日本作家による新たなマトリックスのれん分け的な落としどころがベストだったと思われる。それこそガンダムのような展開もあり得たはずだ。

 

ラナはマトリックス性的少数者の抑圧の解放という原義の徹底へと戻したが、そういった原義的なローカル性がキリスト教的神話やアクションシーンといった味付けでユニバーサルに受容されたからこそ傑作クラシックとして現在も様々な人の記憶に残っているのではないだろうか

 

例えるならワニの肉のステーキで、香草や調理法で臭みを徹底的に消して人気商品になったのに、本来のワニ肉を味わってくれ、と臭い肉片を食べさせられたような嫌な思いを本作に感じたのも事実で、それがまた性的少数者に関する事なので、余計に批判を飛ばしづらいという苦しさなのだ笑。

 

動くかつての面々に再会できた喜び、それと本作の剥き出しのメタと原義的イデオロギーの主張、どちらに不等号の口が向くかで本作への評価は変わるのだろう。